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海に出なかった航海王子──エンリケが残した“判断”の航跡

5世紀初頭、航海の積み重ねによって描かれ始めた未完成の世界地図

航海王子と呼ばれながら、
エンリケ航海王子は、ほとんど海に出ていません。

荒波を越えたわけでも、未知の大陸に上陸したわけでもない。
それでも彼の名は、大航海時代の最初のページに静かに刻まれています。

エンリケがいたのは、船の甲板ではなく、港のそばでした。
出航を見送り、帰港を迎え、地図と報告を前に「次」を考える場所です。

世界が一気に広がったように見える時代の裏側で、
彼は急がず、無理をせず、
「行けるところまで行き、必ず戻る」航海を選び続けました。

この記事では、
海に出なかった航海王子が、
どのようにして世界の輪郭を広げていったのかを辿っていきます。

目次

エンリケ航海王子は、どんな人物だったのか

エンリケ航海王子は、
14世紀末のポルトガル王家に生まれました。
父はポルトガル王ジョアン1世。
エンリケはその三男にあたります。

王家の一員ではありましたが、
王位を継ぐ立場ではなく、
政治や軍事、そして宗教的な役割を担う位置にありました。
若い頃には、北アフリカ遠征にも関わり、
地中海世界とイスラム圏が接する現実を目にしています。

航海を支援したポルトガル王子、エンリケ航海王子の像
航海者ではなく、航海を支える側に回った人物。

こうした経験のなかで、
ポルトガルという国が海に向かう余地と必要性を、
彼は強く意識するようになりました。
王として統治するのではなく、
前線で戦い続けるわけでもない。
その立場だからこそ、
彼は「航海を支える側」に回ることができたと考えられます。

エンリケが選んだのは、
自ら海に出ることではなく、
航海が続いていくための条件を整えることでした。

「航海王子」は、海に出なかった

「航海王子」と聞くと、
未知の海へ乗り出し、船の先頭に立って指揮を執る姿を思い浮かべがちです。
しかし実際のエンリケ航海王子は、
探検家でも冒険の主役でもありませんでした。

彼自身が船を率いて遠洋へ出た記録は、ほとんど残っていません。
彼が航海に出なかったのは、
王位継承者だったからではありません。
むしろ、航海が「続いていく仕組み」を担う役割を、自ら引き受けていたからでした。

大航海時代初期、航海の拠点として機能していたリスボン港の風景
航海の主役は海の上だけではなかった。

エンリケの仕事は、海に出ることではなく、航海が続く仕組みを整えることでした。
資金を集め、人を選び、船を準備し、戻ってきた報告を次へつなげる。
彼が立っていたのは、海の上ではなく港だったのです。

では、航海に出なかった彼は、
港で何を見て、どんな判断を積み重ねていたのでしょうか。

なぜ彼は、急がなかったのか──残された航海のかたちから

エンリケ航海王子が
航海について何を考えていたのかを、直接示す言葉は残っていません。
日記も思想書もなく、
「こうあるべきだ」と語った記録も見つかっていないのが実情です。

それでも、彼の後援のもとで行われた航海の記録を並べていくと、
ひとつの特徴が浮かび上がってきます。
それは、航海が常に「急がない形」で続けられていたことでした。

大航海時代初期、同じ海域を繰り返し航海するなかで描き足されていった航海図
同じ海岸線が、何度も航海され、少しずつ描き足されていった。

一度に遠くを目指すのではなく、
同じ海域を何度も往復し、
到達点を少しずつ更新していく。
航海者が変わっても、その進み方は大きく変わっていません。

このやり方は、偶然の積み重ねとは考えにくいものです。
むしろ、失敗しても次があり、
経験が次の航海に引き継がれるよう、
あらかじめ組み立てられていたように見えます。

エンリケの思想を示す言葉は残っていません。
しかし、数十年にわたって繰り返された航海のかたちは、
「急がない」という判断が、一貫して保たれていたことを物語っています。

「急がなかった航海」を示す、ひとつの例

その姿勢がよく表れている例のひとつが、
アフリカ西岸のボジャドール岬をめぐる航海です。

当時のヨーロッパでは、この岬を越えると
海は煮え立ち、怪物が待ち受け、
二度と戻れないと信じられていました。
そのため、何度も船は岬の手前で引き返しています。

重要なのは、失敗が続いても航海そのものが止められなかったことです。
一度の挫折で計画を放棄するのではなく、
戻っては情報を整理し、
次の航海に活かすという動きが繰り返されました。

外洋に向かって切り立つ断崖と荒れる海(越えられなかった岬のイメージ)
何度も引き返す判断が積み重なった、「越えられない岬」のイメージ。
※写真はロカ岬の断崖

1434年、ジル・エアネスが
この岬を越えることに成功します。
しかしそれは、突然の快挙というよりも、
何年にもわたる試行錯誤の積み重ねが
ようやく形になった瞬間でした。

一度で世界を塗り替えようとしない。
進めなければ、戻る。
そして次につなぐ。
ボジャドール岬をめぐる航海は、
エンリケの後援下で続けられた航海が、
「急がない」ことを前提に組み立てられていたと感じさせます。

時間が、航海の技術を育てていった

航海に時間がかかったことは、
結果として、船や航海術を磨く余地を生みました。

同じ海域を何度も往復するなかで、
風や海流の癖が少しずつ理解され、
操船や航路の選び方も調整されていきます。
船そのものも、遠くへ行くためというより、
戻ってこられることを前提に、扱いやすさが重ねられていきました。

航海の途中で補給や修理を行い、次の航海に備える船と人々の様子
航海は一度で完結しない。
試し、戻り、直す作業が、技術を育てていった。

一度で完成させようとしない。
試し、戻り、直す。
その繰り返しが、
航海を支える技術を、時間の中で育てていったのです。

エンリケ航海王子が残したもの

エンリケ航海王子の功績は、
新しい大陸を発見したことでも、
誰よりも遠くへ航海したことでもありません。

彼が関わった航海は、
急がず、引き返し、試し直すという形で続けられました。
その積み重ねによって、
海は理解され、航路や技術は次へと引き継がれていきます。

航海の拠点となった島の沖を進む帆船と、遠くに見える港の風景
海の上に立たなかった判断が、次の航海を可能にした。

エンリケ自身が旅に出ることはありませんでした。
名前だけ見ると、
さぞ甲板の先頭に立っていそうですが、
実際には港で地図を見ていた時間のほうが長かったはずです。

それでも、
彼が主導した判断の積み重ねは、
後の航海者たちがさらに先へ進むための土台となりました。
「急がなかった航海王子」の選択は、
世界の輪郭を静かに押し広げていったのです。

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