石の階段を一段ずつ登るたびに、欲望や執着を手放していく──。
そんな“不思議な設計”を持つのが、インドネシアの世界遺産 ボロブドゥール寺院 です。
「なぜここは“悟りの階段”と呼ばれるのか?」
この記事では、その理由を歴史や建築の物語からひも解きます。
実際に現地へ行かなくても大丈夫。写真や記録に刻まれたストーリーをたどれば、石造りの宇宙旅行に出かけた気分になれます。
そして最後には、ほんの少しだけ“煩悩断捨離”ができたような心の軽さを味わえるかもしれません。
ボロブドゥール寺院とは?“悟りの階段”と呼ばれる理由
インドネシア・ジャワ島にそびえるボロブドゥール寺院は、9世紀に建てられた世界最大級の仏教遺跡です。1991年にはユネスコ世界遺産に登録され、いまも多くの人々を魅了し続けています。

では、なぜこの寺院が“悟りの階段”と呼ばれるのでしょうか?
その答えは、建物全体の設計に隠されています。ボロブドゥールは下から上へ登る三層構造になっており、仏教の宇宙観を体現しているのです。
つまり、この寺院を一段ずつ登ること自体が、煩悩を手放し悟りへ近づく「修行の旅」を意味しています。
石の階段に見えて、実は人生のマニュアル。
もちろん実際に登れば「悟り」より先に「膝が痛い」という現実が待っていますが……この記事なら安心です。読んでいるだけで“悟りの階段”をのぼった気分を味わえます。
物欲やストレスから解放される“人生の階段”
ボロブドゥール寺院の構造は、まるで人生をそのまま写したかのようです。
下層=欲界
物欲や承認欲求に振り回される世界。
現代で言えば「SNSの通知に一喜一憂する」「Amazonのカートが常に満杯」みたいな状態です。

中層=色界
少し冷静になり、心が育っていく段階。
「無理に比べなくてもいいか」と気づいたり、「コーヒー一杯が意外に幸せ」と思えるようになる時期です。
最上層=無色界
執着を手放し、静かな心にたどり着く世界。
スマホの通知をオフにして、静かに空を見上げるだけで満たされる感覚に近いかもしれません。
階段を一段ずつ登るように、私たちも少しずつ荷物を降ろせばいい。
いきなり悟る必要なんてありません。
今日より明日、ひとつでも「いらない重さ」を置いていけたなら、それで十分です。
石に刻まれた“人生の取扱説明書”
ボロブドゥール寺院の壁面には、2,000枚を超えるレリーフが刻まれています。
これはただの飾りではなく、仏教の教えや釈迦の生涯、そして「人はどう悩み、どう乗り越えるのか」を
描いた“石の本”です。
たとえば釈迦の過去世を描いたジャータカ物語。
「苦しいときも人に優しく」とか「欲を手放そう」とか、メッセージは意外とシンプル。
ただ冷静に考えると──1,200年前から人は同じことで悩み続けてるんです。
つまりあなたの「仕事やめたい」とか「明日こそダイエット」も、歴史的には立派な“人類伝統行事”なのかも
しれません。

数字で見ると、この寺院には504体もの仏像、2,672枚のレリーフ。
現代でいえば、自己啓発本500冊分、ライフハック動画数千本分をまとめて石にオフライン保存した
ようなもの。
クラウドでもサブスクでもない、“石スク”です。
イライラしたときや心が疲れたとき、この“石のマニュアル”を思い出してみてください。
きっと「まあ、焦らなくてもいい」「明日からで十分」という声が聞こえてきます。
それはまるで、古代の石が最新のメンタルアプリになって、そっと通知してくれるような感覚です。
最上層、悟りの世界へようこそ
写真や映像に映し出される最上層には、72基のストゥーパが整然と並び、その中央にはひときわ大きな
ストゥーパがどんと構えています。
「72基」と数字で表すとただのデータのように聞こえますが、画面越しに眺めても思わず「おぉ…」と
声が出そうな迫力です。

不思議なのは、この最上層の雰囲気を見ているだけで、心がスッと静かになっていくこと。
石の塔は何も語らないのに、まるで「そんなに頑張らなくてもいいよ」と囁いているように感じられます。
仏教では72という数を「煩悩の数」にたとえることもあります。
でも、私たちの日常にも煩悩はあふれていますよね。
未読メール72件、やりかけのタスク72個、食べたいスイーツ72種類…。
それを「今日はこのくらいでいいか」と手放せたとき、心は少し軽くなるかも。
悟りとは、派手な奇跡ではなく、とてもシンプルなもの。
それは、スマホの通知をすべてオフにして、静かな時間を取り戻したときの安らぎに近いでしょう。
ボロブドゥールの最上層は、その感覚を“石で可視化した空間”のようにも感じられます。
朝日が昇るとき──心がほどける“目覚めの瞬間”
数ある写真や映像の中でも、ボロブドゥール寺院の朝日は格別です。
夜明け前のストゥーパは静かに眠っているようですが、東の空から光が差すと少しずつ金色に輝き出します。
その様子は、まるで「おはよう、世界!」と背伸びをしている人みたいです。

仏教で“悟り”は「目覚め」を意味します。
暗闇から光へ切り替わるこの瞬間は、その象徴そのもの。
画面越しに見ているだけでも、心が少し軽くなるのを感じます。
もちろん、本物の朝日の温もりや冷たい空気はここでは体験できません。
けれど、この光景を眺めていると「まあ、今日もなんとか出勤してみるか」と思えてきます。
二度寝から無理やり起き上がった朝でも、電車に揺られてウトウトしているときでも、この朝日の映像を思い出せばちょっと救われるかもしれません。
結局のところ、悟りって派手な奇跡じゃなくて、「よし、今日はコンビニのコーヒーで始めよう」くらいの小さな前向きさなのかもしれません。
ボロブドゥールの朝日は、その“ささやかな一歩”を応援してくれる光のように感じられます。
鳥になった気分で眺めるボロブドゥール寺院の壮大な姿
もし翼があったら、一度はやってみたいのが「空からの観光」。下から見ても十分圧巻ですが、空の視点に切り替えると、寺院全体が巨大な曼荼羅のように広がり、まるで“石で作った宇宙”を俯瞰しているかのようです。
【ボロブドゥール寺院のドローンからの映像】
Studio Sunday様の動画から共有させていただきました。ありがとうございます!
悟りへの近道? まずは空から拝んでみましょう。
画面の向こうから空を飛ぶ気分を味わえるのも、このドローン映像のおかげです。
まるで鳥になったつもりで、仏教遺跡の上空をふわりと遊覧──なんだか徳が積めそうですね。
映像をアップしてくださった方、本当にありがとうございます。おかげで私たちは椅子に座ったまま空の旅ができました。
まとめ──悟りをひらいた…つもり?
気がつけば、ボロブドゥール寺院の石段を一段ずつ上ったつもりになって、気分はすっかり“悟りかけ”の旅人です。
実際には自宅の椅子に座ったままでも、ドローン映像のおかげで上空からの壮大な眺めを楽しめますし、むしろ汗をかかない分、快適かもしれません。

石の上にも三年?ボロブドゥールでは千年の悟り
結局のところ、この旅が教えてくれるのは「悟り」ではなく「座り」なのかも。
現地へ行くチャンスがある時まで、まずは身近な場所で小さな悟りを見つけながら、“行ったつもり”の旅を続けていきましょう。
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