地図や写真を見ていると、
同じ景色でも、人によって見え方はずいぶん違うのだろうと思います。
たとえば、
アイスランド西部のフィヨルドを前にしたら——
アメリカ人は「すごい!映画みたいだ!」と言い、
ドイツ人は「形成過程を調べたい」と言い、
フランス人は「光がきれいだ」と言い、
日本人は「静かにしなきゃ」と思うかもしれません。
私はというと、
「これ、どうやってできたんだろう」と考えながら、
ついでに「寒そうだな」とも思いました。
この入り江は、
かつて氷河が何万年もかけて削った“海の谷”です。
今日は、その長すぎる工事現場跡を、
画面のこちら側から、少しだけ歩いてみます。
氷河が削ったU字谷の正体
フィヨルドの形を、あらためてよく見ると、
どこか不思議です。
川がつくる谷は、たいてい細くて鋭い「V字」になります。
ところが、フィヨルドは違います。
底が広く、両側がなだらかに立ち上がる「U字型」です。
この形をつくったのが、かつてこの地を覆っていた氷河でした。
氷河は、ただの“凍った水”ではありません。
厚さは数百メートルにもなり、
重さは、もはや想像の対象外です。

その巨大な氷のかたまりが、
ゆっくり、ゆっくりと谷を流れていく。
岩を削り、土を運び、地形そのものを削り替えていきました。
速さにすると、1年で数センチほど。
人間の感覚では「止まっている」に近い動きです。
でも、それを数万年続けた結果が、
この見事なU字谷でした。
ブレイザフィヨルズル湾という場所
ブレイザフィヨルズル湾は、
アイスランド西部、スナイフェルス半島の北側に広がる海です。
地図で見ると、
ひとつの大きな湾というより、
無数の入り江と島が集まってできた“水の迷路”のようにも見えます。
実際、この湾には、
大小あわせて数千もの島や岩礁が点在しています。
その多くは、氷河が削り残した岩や、
海に沈みきらなかった地形の名残です。

海は比較的穏やかで、
外洋の荒波がそのまま入り込むことはあまりありません。
そのため、昔からこの一帯は、
船にとって“休める場所”でもありました。
人が住むには厳しい土地でも、
海があれば、暮らしは成り立つ。
この湾は、
そうした北の人々の生活を、静かに支えてきました。
フィヨルドと暮らす人たち
ブレイザフィヨルズル湾の周辺は、
決して豊かな土地ではありません。
土は痩せ、夏は短く、風は強い。
この土地の暮らしは、
「冬を越せるかどうか」で決まります。
それでも、人はここに住み続け、
湾の周辺には、小さな集落や農場が点在してきました。

人々は畑よりも羊を選び、
短い夏に草を刈って干し草をつくり、
冬に備えました。
魚を獲り、アザラシを狩り、
自然から少しずつ資源を借りながら、
暮らしを組み立ててきたのです。

そして欠かせなかったのが、船でした。
山と溶岩原に囲まれたこの地域では、
海こそが、もっとも便利な道でした。
木材も鉄も穀物も情報も、
ほとんどは船で運ばれてきます。
この湾にとって、
船は乗り物ではなく、生活そのもの。
船が動けば暮らしが動き、
止まれば時間も止まる。
この湾の生活は、
“自然に合わせる技術”の集まりだったのかもしれません。
この湾から海へ出た人たち
こうした暮らしの中で、
人々は自然と「外の世界」を意識するようになります。
この土地では、
生きていくこと自体が、常にぎりぎりでした。
だからこそ、
海の向こうにある土地や資源の話は、
大きな意味を持ちました。
船は、生活の道具であると同時に、
可能性への入口でもありました。
人々は、魚を獲るためだけでなく、
交易や移住のためにも、海へ出ていきます。
ときには、新しい土地を求め、
ときには、争いを避けるために。
そうして生まれたのが、
後に「バイキング」と呼ばれる航海者たちでした。

彼らは、略奪者として語られることもありますが、
実際には、多くが農民や漁師の延長でした。
彼らは交易者でもあり、
同時に略奪者でもありました。
何万年分の時間を、眺めるということ
ブレイザフィヨルズル湾の風景は、
一見すると、ただ静かなだけの海に見えます。
けれど、その奥には、
氷河が削った時間があり、
人が生き抜いた年月があり、
船が行き交った記憶があります。

私たちは、それを、
写真や画面を通して、
ほんの一部だけ眺めているにすぎません。
それでも、不思議なことに、
そこには、何かが伝わってきます。
この場所は、
何度も形を変えながら、
それでも、ここにあり続けてきました。
この海を渡った人たちは、
どんな景色を見て、
何を考えていたのでしょうか。

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