旅の記事を書いていますが、
私はこれまで、記事にした場所を一つも歩いていません。
セナンク修道院も、その例外ではありません。
行っていません。
そして今のところ、行く予定もありません。
それなのに、
画像を見ていると、
ラベンダー畑の向こうで、
時間だけがゆっくり流れているように見えました。
急がせない。
教えようともしない。
ただ、時間だけが、
静かにほどけていくようです。
谷の静けさの中に
谷に囲まれた風景が続いています。
ここで感動しないのは失礼だろうか、と一瞬考えましたが、
どうやらその心配は要らなさそうです。
この景色は、こちらに何も求めてきません。
色は控えめで、動きも少ない。
「ここが見どころです」と説明されることもなく、
親切なテロップが出てくる気配もありません。
その代わり、
見ている側が、自然と静かになります。

特別な発見があるわけでも、
何かを理解した気になるわけでもありません。
それでも、
気づくと少し長く見ていました。
理由は分かりませんが、
たぶん、理由を探さなくていいからだと思います。
判断を急かされることもなく、
次の行動を促されることもありません。
そこにあるのは、
しばらく何もしなくていい時間だけ。
効率や成果を気にしない場所というのは、
それだけで、少しぜいたくです。
石と光だけでできた建物
この建物は、
とても静かな印象です。
装飾は少なく、
どこかを強く主張してくる感じもありません。
石が積まれていて、
そこに光が入ってきている。
説明しようと思えば、
それだけで終わってしまいそうです。

見ていて、
「なるほど」とうなずく場面が
次々に用意されているわけでもありません。
どちらかというと、
こちらが勝手に納得するのを
待たれているような感じです。
何かを足そうとしていない、
ということだけは、
なんとなく伝わってきました。
この建物は、
それで十分だと思っているようです。
たぶん、こちらが少し考えすぎているだけで。
人は多い。でも、騒がしくはない
映像の中では、人の姿はそれなりに見えます。
ラベンダーの季節なら、きっともっと増えるはずです。
それでも、いわゆる「混んでる観光地」とは、空気が少し違うように感じました。
実際に訪れた人たちも、
“何かを急いで消費する”というより、
その場の雰囲気を楽しみに来ているように見えます。
写真を撮る人がいても、はしゃぐというより、静かに確かめている感じです。

たぶん、この場所には、
「静かにして」と言われなくても、自然と声を落としたくなるものがあります。
こちらもつられて、気づくと動きが丁寧になります。
(丁寧になったところで、特に得はしませんが。)
人が多い=落ち着かない、とは限らない。
ここは、その例外のひとつに見えました。
同じ静けさを見に来た人が、たまたま集まっている。
そんなふうに思えます。
ラベンダーが主役のようで、主役ではない
セナンク修道院というと、まずラベンダーの印象が強いです。
あの紫があるだけで、「ここに行きたい」が一瞬で成立します。
映像でも、花が咲く時期はやっぱり絵になります。
でも見ていると、ラベンダーが主役というより、
主役になりきらない感じがありました。
花が前に出てくるのに、建物の存在感が消えない。
むしろ、ラベンダーがあることで、石の静けさが目立ってくる。
少し不思議な組み合わせです。

ラベンダーは、季節の見せ場です。
ただ、その見せ場が「盛り上げ」に使われていない。
花が咲いても、空気のテンションは上がりすぎない。
こちらも、はしゃぐより先に、少し声を落としてしまいます。
(紫を見ると元気になるはずなのに、なぜか静かになります。)
だから、ラベンダーは確かに目を引くのに、
この場所の主役にはなりきらない。
主役はたぶん、花よりも、
花が咲いても崩れない“あの静けさ”のほうなのだと思います。
答えを出さなくてもいい時間
セナンク修道院のことを追っていくと、
何かを理解した手応えというより、
理解しなくても進む時間のほうが残りました。
谷の静けさも、石と光の建物も、ラベンダーも、
「どう受け取るべきか」を急がせません。
こちらが解釈を急いでも、置いていかれる感じがない。
そのぶん、少し楽になります。
答えを出さなくても、時間はちゃんと流れていきます。
いつもは結論ばかり追いかけているのに、今日はそれを少し脇に置いてもいい気がしました。
“結論”がないと落ち着かないのは、だいたいこちら側の仕様のようです。
この場所は、何かを教えてくれるというより、
肩の力が抜けるのを静かに待っているように見えました。
答えを出さなくてもいい時間が、ちゃんと残る。
それだけで、十分な気がします。

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