見上げた空が動き出す夜──寒さも忘れたその瞬間
ノルウェーのトロムソに、行ったことはありません。
それどころか、ノルウェーの場所も、正確にはちょっとあやしいです。
でも今日は、頭の中でオーロラを見に行こうと思います。
北極圏にあるその町は、オーロラの名所だそうで。
ガイドブックには「極夜に光のカーテンが揺れる幻想的な世界」とか書かれていますが、
私の場合は「日常の現実から逃げたくなったときに現れる、光の逃避ルート」として登場します。
光が揺れる夜。
星が瞬きをやめ、代わりに空そのものが息を吹き返す。
緑と青のベールが、音もなく流れていく。
エアコンの風が当たる部屋の片隅から、今日もまた、想像力だけをパスポートにして旅立ちます。
目的地はノルウェー・トロムソ。
空が踊り出すその瞬間を、寒さゼロ・予算ゼロ・装備ゼロで見に行く、“行ったつもりの旅”、始まりです。
オーロラって何?──空が踊る理由を“なんとなく”理解する
オーロラを最初に見た人は、きっとこう思ったに違いありません。
「あ、空、バグった?」
緑や紫の光が空に滲み、ふわりと揺れては、また消える。
それはもう、“自然”というより、“宇宙が趣味でやってる光のインスタレーション”と呼びたいレベルです。

で、結局オーロラって何なのかというと──
太陽から飛んできた電気を帯びた粒子(=太陽風)が、地球の大気にぶつかって光る現象です。
それだけ。理屈だけで言えば、ネオンサインみたいなもんです。
でも、冷静に考えてください。
空です。宇宙です。気温マイナス10度の夜中に、目の前の空が光って動くんですよ?
説明を聞けば聞くほど、「いや、もう意味わからんけどすごい…」ってなるあたり、
オーロラというのは、知識よりも“体感”のほうが先に来る自然現象なのかもしれません。
トロムソという街──光と静寂が交差する北極圏の町
ノルウェーのトロムソ。
正直、名前の響きだけでもう寒そうです。
地図で探すと、想像してたよりはるかに上のほう、ほぼ北極圏の入り口にあります。
でもこの街、ただの寒い場所ではありません。
北欧らしい素朴な木造家屋と、モダンな建築が混在し、
小さな港町のような顔をしながら、実は大学も博物館もある“知的な町”でもあるんです。

静けさが街に降りてくる──北極圏の灯り、トロムソの夜
そして何より、この町は「オーロラに出会える場所」として有名です。
空が澄み、街灯が少なく、運が良ければ街中からでも光のショーに立ち会えるとか。
街を歩く想像の中で、ふと目に入るのはカフェの灯りや、氷をまとった橋の欄干。
コートの襟を立てながら坂道をのぼると、町の喧騒が消えていく。
音がなくなり、空気が止まり、そして──
あたりの音が少しずつ消え、空気が凛としてくると、
不意に、空の奥で何かが“始まる気配”が漂いはじめるのです。
もちろん全部、想像です。でもその想像が、今夜の旅の入り口なのです。
太陽と地球が見せる、静かな衝突
実際には見たことがないのに、なぜこんなに惹かれるのか。
オーロラを調べていると、「自然が舞台で演じる科学ショー」とでも言いたくなるほど、背後にある仕組みが面白い。
そもそも、あの光は“地球が身を守っている証”らしい。
太陽は毎日、大量のプラズマ(電気を帯びた粒子)を宇宙に撒き散らしていて、地球にも容赦なく飛んでくる。
それをバリアのように跳ね返しているのが、地球の“磁場”。
でも完全には防げない。磁場の北極と南極のあたりには“すき間”があって、そこから粒子たちが
地球の大気にぶつかる。
その衝突で、酸素や窒素が光を放つ。これがオーロラの正体。

緑に光るのは酸素、紫や赤は窒素。
まるで元素たちが、「私はここよ」と自己紹介しているような光景だ。
この仕組みを知っただけで、空を見上げたときの感じ方がちょっと変わる。
“きれい”の裏に、“壮絶な防衛戦”があると思うと、なんだか地球がものすごく健気に思えてくる。
オーロラを見たことはないけれど、この話を知ってからは、
あの光が「地球、今日もがんばってるぞ」というメッセージのように感じるのです。
オーロラにまつわる神話と伝承──人はなぜ空に祈りを見たのか
科学が発達するずっと前、オーロラは、空に浮かぶ“この世ならざるもの”として人々に
語り継がれてきました。
たとえば北欧の伝承では、オーロラは戦いで命を落とした戦士たちの魂が、天を駆け巡る姿とされていました。
厳しい自然と隣り合わせの世界で、命の終わりに希望や誇りを重ねる──それは、信仰というより、生きる
ための祈りだったのかもしれません。
サーミ族やイヌイットの神話では、オーロラは祖先の霊が空で踊っている光とも言われています。
光に向かって口笛を吹くと魂が連れていかれるという話も残っていますが、それはきっと、
畏れと敬意の入り混じった、自然へのまなざしの表れなのでしょう。
フィンランドでは、北極ギツネのしっぽが雪原を駆け、舞い上がった雪が空に火花となって散る――
そんな幻想的な物語もあります。
どの神話にも共通するのは、オーロラという現象を、ただの“自然”としてではなく、
この世とあの世、人間と宇宙、現実と物語をつなぐものとして捉えていたこと。

私たちが空を見上げるとき、そこに「意味」を求めたくなるのは、昔も今も変わらないのかもしれません。
オーロラは、たしかに科学で説明できる現象です。
けれどその光は今も、世界中の人々に“自分なりの物語”を見せてくれるのです。
旅のあとに残るもの──光がくれた、少しの余韻
オーロラ、見てません。
現地にも行ってません。
それどころか、寒さが苦手なので、北極圏は画像検索で済ませています。
それでも人は、ここまで旅気分になれるんだなあと、自分でもちょっと感心しました。
だって今回は、地球の磁場とか太陽風とか、いつもなら理科のテストで寝落ちしてた単語を、
ちゃんと調べたんです。
酸素が緑に光るとか、ちょっとロマンチックなことまで知ってしまいました。

ちなみにこの旅の最大の利点は、装備ゼロ・予算ゼロ・防寒着ゼロ。
オーロラが出るかどうかは、Googleと気分次第。
ノルウェーの天気に振り回されることもなく、いつでも見たいときに見られます(気分だけ)。
こうして「行ったつもりの旅」はまた一つ、“見ぬままに感動したことリスト”を更新しました。
もはや、旅ってなんだったっけ…?と思わなくもないですが、それはそれで良しとします。
さて、次はどこに行ったつもりになろうかな。
今、世界地図をぼーっと眺めながら、光ってそうな場所を物色中です。
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