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氷河の国から海へ出た人たち|バイキングの本当の姿をたどる旅

水辺に係留されたバイキングのロングシップの復元船

「バイキング」と聞いて、
まず思い浮かぶのは、剣と盾でしょうか。
それとも、ホテルの食べ放題でしょうか。

正直に言うと、私は長いあいだ、後者でした。

けれど、前回の記事で、
氷河が削ったフィヨルドの風景を調べているうちに、
その海を渡っていった人たちの存在が、
どうしても気になってきました。

バイキング。
海賊のようで、海賊ではなかった人たち。

今回は、その「本当の姿」を、
行ったつもりでたどってみたいと思います。

目次

なぜ、氷河の国から海へ出たのか

バイキングが暮らしていた北欧の土地は、
決して豊かな場所ではありませんでした。

冬は長く、
土はやせ、
農業だけで生きるのは難しい環境です。

しかも、土地は長男が継ぎ、
次男や三男には、ほとんど残りません。

アイスランドの断崖と荒れた海岸線の風景
農業に向かない土地と、目の前に広がる荒い海

「このまま、ここで生きていけるのか」

そんな不安を抱いた若者たちの前に、
いつも広がっていたのが、海でした。

森には船をつくる木があり、
入り江には港があり、
彼らには、すでに航海の技術がありました。

土地で勝つのは難しい。
ならば、海の向こうへ行く。

それは無謀な冒険ではなく、
この時代では、とても現実的な選択だったのです。

バイキングは、本当に海賊だったのか

「バイキング」と聞くと、
多くの人が、まず海賊を思い浮かべます。

盾と剣を持ったバイキング風の衣装を身につけた人物
映画やイベントなどで広まった、現代の「バイキング像」の一例

剣を振り回し、
村を襲い、
財宝を奪う――
そんなイメージです。

たしかに、彼らは襲撃を行いました。
修道院や沿岸の町が、標的になることもありました。

けれど、それは
バイキング全体の姿ではありません。

彼らの多くは、
実家の畑を手伝いながら、
漁や交易にも関わる、
ごく普通の人たちでした。

では、なぜ「海賊」という印象だけが残ったのでしょうか。

理由は、記録を残した人たちにあります。

修道士や住民が襲撃を受ける場面を描いたバイキングの歴史画
修道士や住民が襲撃を受ける場面を描いたバイキングの歴史画

当時、文字を書き、歴史を残したのは、
主に修道士や聖職者でした。

つまり、
「襲われた側」です。

彼らの目に映ったバイキングは、
恐ろしく、理不尽な存在でした。

その記録が、何百年も語り継がれ、
いつの間にか、
「バイキング=海賊」という図式ができあがったのです。

なぜ“交易”より“略奪”が先だったのか

今の感覚で考えると、
「襲うより、普通に商売したほうが安全なのでは」
と思ってしまいます。

実際、その通りです。

できるなら、
争わずに取引するほうが、
誰にとっても楽でした。

けれど、当時のヨーロッパでは、
それが簡単ではありませんでした。

言葉は通じず、
契約書もなく、
信用の仕組みもない。

「約束」は、
紙ではなく、命で守る時代です。

しかも、沿岸の町や修道院は、
ほとんど守られていませんでした。

金や食料がありながら、
武装は弱い。

今で言えば、
鍵のかかっていない金庫が、
並んでいるような状態です。

船団で沿岸部を襲撃するバイキングの様子を描いた歴史画
成功すれば大きな利益、失敗すれば命を落とす――そんな賭けのような襲撃

そんな場所に、
速い船で現れ、
短時間で去っていく。

成功すれば、
大きな利益が手に入る。

失敗しても、
すぐ逃げられる。

冷静に考えると、
それは「無謀な賭け」ではなく、
当時としては、かなり合理的な選択でした。

もちろん、
略奪は危険でした。

抵抗されることもあり、
命を落とす者もいました。

それでも、多くの若者が海へ出たのは、
それ以上に、
土地で貧しく生き続けることが、
つらかったからです。

略奪は目的ではなく、
生き残るための手段でした。

バイキングは、やがて商人になっていった

バイキングは、
いつまでも略奪を続けていたわけではありません。

時代が進むにつれて、
ヨーロッパの町や港は、
少しずつ守りを固めていきました。

城壁がつくられ、
兵士が配置され、
簡単には襲えなくなっていきます。

すると、略奪は、
だんだん「割に合わない仕事」になっていきました。

その一方で、
交易は、少しずつ整えられていきます。

バイキング時代の交易都市を再現した復元模型
略奪から交易へと生き方を変えた、バイキングの交易都市の復元模型

港が整い、
市場ができ、
決まった通貨が使われるようになった。

「奪う」より、
「交換する」ほうが、
安定して稼げる時代が来たのです。

彼らは、そこで立ち止まりませんでした。

拠点をつくり、
町に住み、
現地の人と結婚し、
商人として生きていく者も現れました。

かつての「襲う側」が、
いつの間にか、
「つなぐ側」になっていったのです。

バイキングは、
乱暴な人たちだったから、
生き残ったのではありません。

時代の変化に合わせて、
生き方を変えられたから、
生き残ったのです。

海の向こうへ出た、5人のバイキング

バイキングといっても、
その生き方は、人によってまったく違いました。

ここでは、象徴的な5人を紹介します。

世界の果てまで行った男――レイフ・エリクソン

アメリカに建てられたレイフ・エリクソンの記念像
北米到達の功績をたたえて建てられた、レイフ・エリクソンの記念像

11世紀ごろ、
北米大陸にたどり着いた人物です。

コロンブスより、
約500年も早い航海でした。

地図もない時代に、
大西洋を渡った冒険者です。

新天地を切り開いた男――赤毛のレイリーク

グリーンランドを開拓した赤毛のエイリークを描いた版画
後世に描かれた、赤毛のエイリークの肖像(版画)|出典:Wikimedia Commons(Public Domain)

レイフの父で、
グリーンランドを開拓した人物です。

争いで追放されても、
新しい土地を探し続けました。

バイキングの「移住者の顔」を
代表する存在です。

最後のバイキング――ハーラル3世

ステンドグラスに描かれたノルウェー王ハーラル3世の姿
後世に制作された、ハーラル3世(ハーラル・ハードラーダ)を描いたステンドグラス
出典:Colin Smith / Geograph project(CC BY-SA 2.0)
https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.0/

各地で戦ったあと、
ノルウェー王になった人物です。

傭兵・戦士・王という人生は、
バイキングの“出世ルート”を
象徴しています。

フランスに国をつくった男――ロロ

フランス・ファレーズに建つノルマンディー公ロロの銅像
ノルマンディー公ロロの像(フランス・ファレーズ)
Photo by Wikimedia Commons / CC BY-SA 2.5

フランス北部に定住し、
ノルマンディー公国を築いた人物です。

元・バイキングが、
ヨーロッパの支配者になった
代表例です。

彼の子孫は、のちにイングランドを征服し、
現在のイギリス王室へとつながっていきます。

「襲う側」から「治める側」へ。
その転換点にいた人でした。

最恐と恐れられた戦士――骨無しのイーヴァル

大異教軍によるイングランド侵攻を描いた中世写本のバイキング襲撃場面
中世写本に描かれた、バイキングによる沿岸都市の襲撃場面
出典:Wikimedia Commons(Harley MS 2278, f.48r/Public Domain)

「大異教軍」を率いた指導者で、
イングランドを席巻しました。

残忍さでも知られ、
バイキングの“戦士の側面”を
もっとも強く表しています。


この5人を並べると、
バイキングの姿は、一つではありません。

  • 冒険者
  • 開拓者
  • 支配者
  • 戦士

彼らは、
同じ時代に生きながら、
まったく違う道を歩きました。

バイキングとは、
決まった生き方ではなく、
「海を使って人生を切り開いた人たち」
だったのかもしれません。

なぜ日本では「バイキング=食べ放題」なのか

日本で「バイキング」と聞くと、
多くの人が思い浮かべるのは、食べ放題です。

この意味は、1950年代に
帝国ホテル 東京 が始めた
北欧風ビュッフェがきっかけでした。

北欧には、もともと
「スモーガスボード」と呼ばれる、
料理を自由に取る食文化があります。

大きなテーブルに料理を並べ、
好きなものを選んで食べる。
今のビュッフェの原型です。

日本のホテルで提供されるバイキング形式のビュッフェ料理
日本で発展したバイキング形式のホテルビュッフェ。
「食べ放題」のイメージは、ここから広まった。

さらに当時、映画
バイキング の影響で、
「北欧の人たちは豪快に食べる」
というイメージも広まっていました。

そこで、この料理形式に
「バイキング料理」という名前がつけられます。

北欧っぽくて、
強そうで、
覚えやすかったからです。

この呼び名は定着し、
やがて日本では、

バイキング=食べ放題

という意味になりました。

ちなみに海外では、
この言い方はほとんど通じません。

剣の代わりにトングを持った、
日本独自に進化した「バイキング」なのです。

私たちの「当たり前」は、どこから来たのか

いま私たちは、
世界中のものを、ほとんど意識せずに手に入れています。

海外の商品を買い、
遠くの国と取引し、
船や飛行機が、当たり前のように行き交う。

それは、とても自然な光景に見えます。

けれど、その「当たり前」は、
最初から用意されていたわけではありません。

地図もなく、
保証もなく、
失敗すれば命を落とす時代に、
海へ出ていった人たちがいました。

バイキングも、その一人でした。

略奪をし、
交易をし、
移住をし、
失敗しながら、道をつくっていった人たちです。

その積み重ねの先に、
いまの世界があります。

夕暮れの海に浮かぶ現代船のシルエット
夕暮れの海に浮かぶ船のシルエット。
かつての航海者たちの挑戦は、いまも私たちの時代へと続いている。

私たちは、
とても安全で、便利な時代に生きています。

けれど、その裏側には、
星と波だけを頼りに進んだ、
無数の挑戦の歴史がありました。

今回の旅は、
そんな「当たり前のはじまり」を、
少しだけ振り返る旅だったのかもしれません。

氷河の国から海へ出た人たちの物語は、
いまも、私たちの足元につながっています。

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