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妄想の旅〜ある古参兵のアレクサンダー遠征記〜(後編)

夕暮れの空に立つペルセポリスの列柱遺跡

※これは史実ではありません。
 ここから先に書かれているのも、
 私が勝手に思い描いた、ひとつの妄想の旅です。

ペルセポリスに立ったとき、
多くの兵は、どこかで「終わった」と思っていた。

ペルシア帝国の王都まで来た。
ここまでで、十分だ――
そう感じていた者は多かった。

酒が振る舞われ、
火が灯り、
勝利の話が夜に溶けていった。

だが、
私は感じていた。

アレクサンダーが、
この場所を終点だと思っていないことを。

夜、列の外れで、
一人きりで地面を見つめている王の背中を見たとき、
それは、はっきり分かった。

地図は、ここで終わっていた。
だが、
あの人の視線は、
地図の外を向いていた。

山の向こう。
砂の先。
まだ名もない土地。

あの人は、
剣を置くつもりなどなかったのだ。

この先から、
戦は少しずつ形を変えていく。

敵は、
目に見える敵だけではなくなり、
槍や盾では防げないものが、
混じり始める。

距離。
疲労。
疑い。
そして、
「なぜ、まだ進むのか」という問い。

それでも、
私たちは進んだ。

私は、
列の中にいた。

名を残す者ではない。
ただ剣と荷を持ち、
命令がある限り歩いてきた。

私は古参の兵の一人で、
仲間からは、
短く「ツモ」と呼ばれていた。

これは、
アレキサンダーがさらに先へ行こうとした話であり、
私たちが、
引き返せなくなっていった話でもある。

終わったと思った場所から――
後編の旅は、始まる。

目次

王都ペルセポリス

門をくぐった日

王都は、
戦って奪う場所ではなかった。

高い門は閉じられず、
私たちは、列を崩さないまま中へ入った。

石で敷かれた道。
重なり合う柱。
壁一面に刻まれた、
見知らぬ王たちの姿。

ここが、
ペルシアの王都――
ペルセポリスだと知らされた。

17世紀に描かれたペルセポリス王都の想像復元図
辿り着いた王都、ペルセポリス

歓声はなかった。
剣を振るう相手もいなかった。

長い行軍の末に、
ただ、
広い場所へ辿り着いた。

アレクサンダーは、
都を見渡していた。

だが、
その背中に、
「終わり」の気配はなかった。

奪われた夜

夜になると、
都は別の顔を見せた。

誰かが戸を破り、
誰かが壺を割った。

命令だったのか、
流れだったのか。

ただ、
止める声はなかった。

金や酒が運び出され、
火が灯った。

19世紀に描かれたペルセポリス炎上の想像図
炎と叫びに包まれた夜を、
私は、あとから何度も思い出すことになる。

石の都でも、
火は燃え広がる。

柱が崩れ、
屋根が落ち、
赤い光が夜を照らした。

そこは、
戦場ではなかった。

それでも、
破壊は進んだ。

王が命じたのかどうかは、
私には分からない。

だが、
止めなかったことだけは、
はっきりしていた。

夜が明けたとき、
王都は、
もう王都ではなかった。

ダレイオス ――追われ、そして消えた王

王都を出たあとも、
私たちは止まらなかった。

敵の王――
ダレイオスが生きている限り、
この戦は終わらない。
そう言われ、
列は東へ向いた。

だが、
私たちは最後まで、
その姿を見ることはなかった。

町を越え、
山を越え、
追っていたのは、
人ではなく、
その名だけだった。

やがて、
知らせが届いた。

ダレイオスは、
自分の側にいた者たちに
殺されていた。

王が駆けつけたとき、
そこにあったのは、
すでに冷えた身体だけだったという。

アレクサンドロス大王が、殺害されたダレイオス3世の亡骸を前に、静かにマントをかける場面を描いた歴史画
敵としてではなく、王として――
彼は、その亡骸を覆った。

アレクサンダーは、
その死を悼んだと聞いた。
敵としてではなく、
王として。

そのあと、
告げられた。

故郷へ帰りたい者は、
帰ってよい――と。

列の中から、
兵が抜けていった。
荷を背負い、
振り返らずに歩く背中。

誰も責めなかった。
それは、
許された選択だった。

敵の王は死んだ。
だが、
列は解かれなかった。

アレクサンダーは、
前を見ていた。

私も、
まだ列の中にいた。


東へ進む中で ――変わっていくアレクサンダー

ダレイオスが死んでも、
行軍は止まらなかった。

王は、
さらに東を見ていた。
ペルシアの東方を、
完全に制圧するという。

町は開き、
城は落ち、
地図は、
確かに塗り替えられていった。

戦としては、
順調だった。

だが、
敵は、
外だけではなくなっていた。

ある夜、
陣に噂が走った。
王を殺そうとした者がいる、と。

最初は、
冗談だと思われた。
酒の席の話だと、
誰もが受け取った。

だが、
名が出た。

ピロタス。
王の側近で、
騎兵を率いていた男だ。

尋問が行われ、
告発が重ねられ、
彼は処刑された。

それだけでは、
終わらなかった。

ピロタスの父――
パルメニオンの名も呼ばれ、
彼もまた、
遠く離れた地で殺されたと聞いた。

裁きは、
見えなかった。

陣は、
静まり返った。

夜の空に無数の星が広がり、地上の木々がシルエットとして浮かび上がる静かな星空
この夜も、星は変わらず、上にあった

それでも、
行軍は続いた。

だが私は、
別の変化を感じていた。

王が、
少しずつ遠くなっていく。

王はかつて、
列の前を馬で進み、
兵の顔を見ていた。

今は、
天幕の奥にいる時間が長い。

命令は、
以前より整っていた。
だが、
温度がなかった。

強くなったのではない。
変わったのだ。

疑いは、
軍の外ではなく、
内側にも向けられている。

剣を持つ手が、
少しだけ、
重くなった。

軍の中で起きていたこと ――遠ざかる帰還

勝っているのに、
行軍は終わらなかった。

何年も故郷へ帰れず、
それでも王は、
遠征をやめようとしなかった。

やがて、
王はペルシアの服をまとうようになった。
敵だった国の姿を、
王が身につける。
その違和感を、
誰も口にしなかった。

そのころ、
軍の内側でも粛清が続いた。

酒の席で、
クレイトスが殺され、
続いて、
ヘルモアロスという若い従者も処刑された。

戦ではなかった。
裁きとも言い切れなかった。

そして、
王が結婚したと聞いた。
相手は、
この地で力を持つ一族の娘、ロクサネだった。

アレクサンドロス大王とロクサネの結婚の儀式を描いた歴史画。兵士や踊る人々に囲まれ、神殿のような空間で婚礼が進められている場面
それは、勝利の祝いではなかった。
ここに留まることが、決まった夜だった。

それは、
帰還の知らせではなかった。

剣だけでなく、
血と縁で、
ここに留まる選択。

兵は、
何も言わなかった。
だが、
沈黙の中で、
皆が同じことを感じていた。

勝っているはずなのに、
軍は、
少しずつ重くなり、
故郷は、
また遠くなった。

インド ――王の声が届かなかった日

次は、
インドへ向かう――

その命令が出たとき、
誰も声を荒らげなかった。

だが、
顔を見れば分かった。
ここまで来た。
もう十分だ――
そう思っている者が、
大勢いた。

それでも、
列は進んだ。

ヒュダスペス河畔で、
私たちは戦った。
雨の中、
川を渡り、
象兵と向かい合った。

踏まれ、
弾き飛ばされ、
それでも列は崩れなかった。

勝利は、
確かに手に入った。
だが、
川は泥と血で濁り、
この先も同じ戦が続くことを、
誰もが悟っていた。

そして――
それ以上、
進めなかった。

命令は出た。
だが、
足が動かなかった。

疲労でも、
恐れでもなかった。
ただ、
もう歩けなかった。
盾の重なりが、前ではなく地面を向いた。

馬上のアレクサンドロス大王が前進を指し示す一方、槍を下ろして動かない兵士たちが集団で立ち止まっている場面を描いた版画
命令は、確かに出ていた。
だが、もう歩けなかった。

アレクサンダーは、
前に立ち、
語った。

あと少しだ。
世界の端は、
すぐ先だ


――と。

だが、
誰も動かなかった。

この日、
初めて、
王の言葉が、
私たちに届かなかった。

勝ち負けではなかった。
歩けるかどうか――
それだけだった

帰路 ――――戦いと、砂と

もう、
これ以上は進めなかった。

引き返すと決まっても、
私たちは来た道を戻らなかった。
王は、
地図の端に残された
別の道を選んだ。

理由は、
語られなかった。

帰路の途中、
マッロイという地で戦いが起きた。
そこで、
王は矢を受け、
重体となった。

王が生きているのか、
死んだのか――
分からない時間が続いた。

やがて、
王は生きていると伝えられ、
軍は、
再び歩き出した。

その先にあったのが、
ゲドロシア砂漠だった。

パキスタン南西部マクラン地方の乾いた半砂漠の風景。低い植物と岩山が広がるゲドロシア砂漠の景観
ゲドロシア砂漠。私たちが、帰るために歩いた荒野。
敵はいなかった。それでも、人は倒れていった。
Photo: Gabriele Kothe-Heinrich / Wikimedia Commons
License: CC BY-SA

水は足りず、
暑さと渇きが、
人を削った。
敵はいなかった。
それでも、
人は倒れた。

王も、
同じ道を歩いていた。

この道では、
王も兵も、
同じように削られていた。

それでも、
私たちは歩き続けた。

帰還

ようやく、
帰還した。

ペルセポリスを出てから、
すでに六年以上が過ぎていた。
季節を何度も越え、
戦い、
追い、
引き返し、
砂漠を越え、
それでも、
ここへ戻ってきた。

長すぎる遠回りだった。

レクサンダー大王の遠征ルートを示した地図(マケドニアからペルシア・中央アジア・インドまで)
私たちは、地図の上でも信じられないほどの距離を歩き続けていた。
帰還した今になって、ようやくその遠さが分かる気がする。
Image: Campaigns of Alexander the Great / derivative work by Homoatrox (based on work by historicair) / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

帰ってきたはずなのに、
懐かしさよりも、
まず身体の重さを感じた。

その王都で、
アレクサンダーは、さらに変わっていった。

衣は、
すっかりペルシアのものとなり、
儀礼も、
言葉も、
私たちの知っていた王の姿から
離れていった。

王は、
マケドニアの王でありながら、
ペルシアの王でもあろうとしていた。

国を一つにするためだと、
そう説明された。

だが、
兵の中には、
置いていかれたと感じる者もいた。

六年以上も歩いて戻ってきたのに、
帰ってきた場所が、
もう、自分たちの場所ではない――
そんな感覚だった。

さらに、
新しい遠征の話も聞こえてきた。

まだ先がある。
まだ終わっていない。

この帰還は、
それを告げるための
通過点にすぎないはずだった。


最後の謁見

集まった夜

そのあと、
王は病に倒れた。

戦でも、
矢でもなかった。

熱が上がり、
王は姿を見せなくなった。

原因は知らされず、
ただ、
命令が出なくなった。

私たちは、
待つしかなかった。

王の声が、
聞こえなくなっていたのだ。

王が、
もう長くはないらしい――
その噂は、
静かに、しかし確実に広がった。

いつの間にか、
宮殿に兵が集まり始めた。

誰かが呼び集めたわけではない。
気づけば、
皆そこに立っていた。

怒号もなく、
混乱もなかった。

ただ、
歩いてきた者たちが、
歩いて集まってきただけだった。

声を荒らげる者はいなかった。
だが、
沈黙は、
剣よりも重かった。

「生きているのか」

誰かが、
小さく呟いた。

それ以上の言葉は、
続かなかった。

声が届いた距離

やがて門が開き、
ゆっくりと中へ通された。

王は、
寝台に横たわっていた。

かつて、
馬上で前を見ていた人と、
同じとは思えない姿だった。

胸が、
わずかに上下している。
それだけが、
生きている証だった。

兵は、
一人ずつ、
前を通った。
何かが壊れてしまいそうだった。

そして、私の番が来た。

胸の奥が、
急に熱くなった。

泣いてはいけない、
そう思った。

ここは、
戦場ではない。
だが、
泣く場所でもない。

それでも――
王の目が、
こちらを向いた。

死の床に横たわるアレクサンダー大王と、別れを告げるマケドニア兵士たちの歴史画
王は、もう立ち上がることができなかった。
あの夜、宮殿に満ちていた沈黙は、どんな戦場よりも重かった。
Karl von Piloty, “Dying, Alexander the Great bids farewell to his army” (c.1886) / Public Domain / Wikimedia Commons

焦点の定まらない視線が、
一瞬だけ、
確かに私を捉えた。

唇が、
わずかに動いた。

「……ツモ」

音にならない声だった。
それでも、
はっきりと、
私の名だった。

その瞬間、
喉の奥が、
きつく締まった。

泣きたかった。
声に出して、
泣いてしまいたかった。

だが、
それはできなかった。

ここで泣けば、
この人は、
本当にいってしまう気がした。

私は、
何も言えず、
ただ、深く頭を下げた。

視界が、
少し滲んだ。

外に出たとき、
私は、
歩けなかった。

頬を、
何かが伝っていた。

拭っても、
止まらなかった。

声は、
出なかった。

ただ、
胸の奥が、
きつく締めつけられ、
そのまま、
崩れてしまった。

歩き終えたあとで

アレクサンダーは、
ほどなくして崩御した。

その瞬間を、
私は見ていない。

ただ、
命令が、
二度と出なくなった。

それだけだった。

それから時が、
流れた。

早かったのか、
長かったのかは、
分からない。

アレクサンダーの名のもとに集まっていたものは、
少しずつ、
ほどけていった。

かつて王のもとで戦っていた将軍たちは、
やがて互いに剣を向けあった。

地図は、
再び線を引き直され、
かつて一つだったものは、
いくつもの名前に分かれた。

人は、
それを
「帝国が崩れた」と呼んだ。

夕焼けに染まる草原と地平線へ続く道
草原に沈む夕日を見るたび、私は思う。
あの長い旅は、本当に終わったのだろうか――

だが、
私には、
壊れたというより、
支えがなくなったように見えた。

あの人が歩いていた間、
私たちは、
前へ進む理由を
疑わずにいられた。

だが、
その背中が消えると、
進む方向も、
同時に消えた。

私は、
生き残った。
それが誇りか罰かは、
まだ分からない。

これは、
世界を征服した王の物語ではない。

その後ろで、
剣と荷を持ち、
どこまで行くのかも分からないまま、
歩いてしまった者の話だ。

英雄の名は、
歴史に残った。

だが、
あの長い道のりは、
私の中にまだ、
感触が残っている。

草原に沈む夕日を見るたび、
私は思う。

あの旅は、
本当に終わったと言えるのだろうか――と。

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