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妄想の旅〜ある古参兵のアレクサンダー遠征記〜(前編)

朝の光に照らされる広い草原。遠くへ続く道を想像させる静かな風景

※これは史実ではありません。
 ここから先に書かれているのは、
 私が勝手に思い描いた ひとつの妄想の旅 です。

 登場する人物や出来事は、
 歴史を下敷きにしながらも、
 あくまで「もし、そうだったら」という想像にすぎません。

 それでも構わなければ、
 少しだけ、過去の戦場に付き合ってください。

私の名は、エウテュモス。
仲間からは、短く「ツモ」と呼ばれていた。

若いころ、
まだ世界の端がどこにあるのかも知らないまま、
私はマケドニアの地で軍に混じって歩き始めた。

あの人が初めて戦場に立ったときも、
私は同じ地面を踏んでいた。
そして、あの人が倒れたあとも、
私は生き残ってしまった。

アレクサンダー大王
――その名を、
私は戦場で何度も叫び、
行軍の列の先で、何度も見てきた。

英雄のそばにいたからといって、
特別な何かになれたわけでない。
ただ、前へ進む列の中にいて、
止まる理由を失ったまま、
歩き続けていただけだった。

古代マケドニア王国の範囲と現在のマケドニア地方を示した地図。古代の首都ペラと、現在の中心都市テッサロニキの位置が示されている。
この旅が始まった場所。
古代マケドニア王国の範囲と、その中心地。
出典:Wikimedia Commons(CC0)

彼はなぜ、
あれほど先へ行こうとしたのか。
その意味を、
私はその場では理解できなかった。

いまになって思う。
あの人は、
私たちより先に、
ずっと遠くを見ていたのだと思う。

剣を持ち、
荷を背負い、
私は最後まで歩いてしまった。

これは、
世界を征服した王の物語ではない。

その後ろで、
剣と荷を持ち、
最後まで歩いてしまった。

今も私の中に残っている、
昔の話だ。

目次

物語が始まる前のこと

私が軍列に加わったのは、
あの人が名を知られる、ずっと前のことだ。

まだ父王フィリップスの時代で、
遠征といっても、
守るための戦がほとんどだった。

父王フィリップスの代に、
この軍は、少しずつ形を変えていった。

長い槍と重なった盾で構成された古代の密集陣形。個ではなく列で戦う軍の姿
一人ではなく、列で立つことを覚えさせられた。

槍は長くなり、
盾は重なり合うようになった。
一人で踏みとどまるより、
列で耐えることを、
体に覚えさせられた。

その頃、
まだ王子だったアレクサンダーの
姿も見かけていた。
馬に乗り、
列の外を行き来する、
まだ若い背中だった。

その頃の私たちは、
世界の端を考えたことなどなかった。
ただ、
呼ばれれば列に入り、
終われば家に戻る。

いま思えば、
あれは「始まりの前」だったのだと思う。

初陣 ――若い王が前に出た日

あの戦いは、
あとになって「初陣」と呼ばれるものだったらしい。

私にとっては、
列が組まれ、
少し重たい空気の中で、
前へ押し出された一日だった。

そこが、
カイロネイアという土地だったことは、
戦いが終わってから知った。

古代ギリシャ軍同士が激しく衝突する戦闘場面を描いた歴史画
その場では、何が起きていたのか分からなかった。

若い王が前に出る、という噂はあった。
十八だとも聞いた。
それが何を意味するのか、
そのときの私には分からなかった。

だが、やることは、いつもと同じだった。
槍を立て、盾を重ねる。

ただ突然、
前の重さが、ふいに抜けた。

押し合いが消え、
敵が崩れる気配が伝わってきた。
誰が何をしたのかは、
その場では分からない。

あとで、
左のほうで、
若い王子が突っ込んだのだと聞いた。

それが、
私があの人の名を、
戦場の出来事として覚えた、最初だった。

父王フィリッポスが倒れた夜

父王フィリッポスが死んだと聞いた夜、
陣は静まり返った。

刃は外から来たのではない。
フィリッポスのすぐそばにいた者の手にかかったのだ。

敵の槍なら、受け止められる。
だが、守るはずの手が裏切る――
それは、軍の足元を揺るがす話だった。

誰も酒を飲まず、
誰も大声を出さなかった。
不安で陣が沈んでいた。

翌朝、
アレクサンダーが前に立った。

アレクサンドロス3世の肖像(古代コイン
マケドニア王アレクサンドロス3世の肖像。
即位後、王として刻まれた姿を伝えるコイン。


若い王子ではなかった。
もう、王だった。

泣きもせず、
怒りも見せず、
短い命令だけを出した。

「持ち場に戻れ」

軍の揺れは収まった。

その後、国内では反乱が起きた。
王の若さを試すためだ。

アレクサンダーは、迷わなかった。
早く、強く、終わらせた。

国が静まると、
次は外だった。

東へ。
海を越える。

こうして私たちは、
アレクサンダーとともに
ペルシアへ向けて歩き出した。

世界の外へ。

海を越え、ペルシアへ渡った日

海を渡ったあとの行軍は、
しばらく静かだった。

だが、
最初の戦いは避けられなかった。

川だった。

あとで知った名を言えば、
グラニコス川という。

トルコ西部を流れる現在のグラニコス川(ビガ川)。両岸に木々が茂り、静かに水が流れている。
現在のグラニコス川(トルコ・ビガ川)。
Photo: Danbury / Wikimedia Commons
License: CC BY-SA 3.0

水は浅く、
流れは速い。

対岸には、
ペルシアの騎兵が並んでいた。

正直に言えば、
渡れるとは思っていなかった。

だが、
アレクサンダーは馬を進めた。
私たちは、それに続いた。

グラニコス川での戦いを描いた版画。川を渡るマケドニア軍と対峙するペルシア軍
海を越えた先で迎えた最初の戦い、グラニコス川

川はすぐに濁り、
戦いは短く終わった。

これが始まりだと、
誰もが分かった。

それから先は、
進むほどに空気が重くなった。

ペルシア王が動いているという話をきいた。
大軍が集まっているそうだ。

まだ戦ってはいない。
それでも、
次は大きな戦いになる――
そう感じていた。

迷わず、進んだ先で

ペルシア国内には、
多くの町があり、城があった。

戦うこともあれば、
開けてくれることもあった。

名を覚える暇もなく、
地図だけが少しずつ塗り替えられていった。

アレクサンダー大王の小アジア遠征初期における進軍ルートを示した地図。複数の都市と戦闘地点が矢印で結ばれている。
戦いと交渉を繰り返しながら、私たちは東へ進んだ。
アレクサンダー大王の小アジア遠征初期を示した進軍ルート図
Map: DIEGO73(原図:Captain Blood ほか) / Wikimedia Commons
License: CC BY-SA 4.0

訪れた町の一つで、
面白い話を聞いた。

もっとも、
それがどこで聞いた話だったのかは、
はっきりしない。

ゴルディオンという町に、
解けない結び目があったという。

古い荷車につながれた結び目で、
何重にも絡まり、
どこが始まりで、
どこが終わりなのかも分からない。

「あれを解いた者が、
この地を治める王になる」

そんな言い伝えが、
その町にはあったらしい。

王は、
それを前にして、
しばらく眺めたという。

そして――
剣で、
真っ二つにしたというのだ。

それで結び目は、
「解けた」ことになった。

皆、その話を
痛快な武勇談のように語っていた。

ゴルディオンの結び目を剣で断ち切るアレクサンダー大王を描いた絵画
ゴルディオンの結び目を断ち切ったと語られる場面。
その決断は、あとから意味を持つことになる。

私は、
豪胆な話だと思っただけだった。

だが、
進むほどに分かった。

あの人は、
迷わない。

そうして、さらに進み続けた先で、
道は、急に狭くなった。

山と海に挟まれ、
逃げ場は消えた。

ここで、止まる。
ここで、敵の大軍と向かい合う。
誰もが、そう感じていた。

その地の名を、
イッソスという。

私は、
槍を握り直した。

イッソス ――声が届いた戦場

声が届く距離で

ペルシア軍との戦いの直前、
私の列の前を、アレクサンダーが進んでいた。

兜は被っていても、
誰なのかは分かった。

馬に乗り、
列に沿って動く姿は、
他とは違っていた。

王が顔を見知っている兵の中には、
名を呼ばれた者がいる。
短く声をかけられた者もいた。

そして、
私の前で、
馬が止まった。

「ツモ。頼むぞ」

それだけだった。
それ以上の言葉はなかった。

だが、
私にはそれで十分だった。

王は、
私を見ていた。
戦場の前で、
一人の兵として。

馬は再び動き、
アレクサンダーは前へ行った。

だが、
軍の空気は、
はっきりと変わっていた。

イッソスの戦い

イッソスの戦いを描いたアレクサンドロスのモザイク。前線で密集するマケドニア軍とペルシア軍
イッソスの戦い。
王は前線を駆け抜けた。

合図が出ると、
私たちは、考えるのをやめた。

盾を寄せ、
肩を合わせる。

一人分の隙間も、
残さない。

前に出ているのは、
先頭の数人だけだ。
だが、
動いているのは、
列すべてだった。

前の者は、
耐える。
後ろの者は、
支える。

誰かが倒れても、
列は埋まる。
形は崩れない。

私たちは、
強くなったのではない。
ただ、
一人でいなくなっただけだ。

向こうは、
一人で戦っていた。
こちらは、
列で進んでいた。

やがて、
前の抵抗が小さくなった。
それで勝敗は決まった。

勝利の先に続く道

イッソスのあと、
私たちは、すぐには止まらなかった。

勝ったから終わる、
という戦ではなかった。

海沿いの町が残り、
道は、まだ先へ続いていた

アレクサンダー大王の東方遠征第2段階における進軍ルートを示した地図。イッソス以後、地中海沿岸を南下しエジプトへ向かう道筋が描かれている。
イッソスのあとも、私たちは歩き続けた。
勝ったから終わる戦ではなく、
海沿いの町と、先へ伸びる道が残っていた。
――アレクサンダー大王の東方遠征・第2段階を示した進軍ルート図
Map: DIEGO73(原図:Captain Blood ほか) / Wikimedia Commons
License: CC BY-SA 3.0

ティルス ――海に守られた町

海の前で、
私たちは足を止めた。

それ以上、
進めなかったからだ。

目の前にあったのは、
城壁――
ではなかった。

町が、
海の上にあった。

陸から少し離れた沖に、
石の壁に囲まれた島が浮かんでいる。
船がなければ辿り着けない場所だ。

あとで知った名を言えば、
ティルスという。

レバノン南部ティルスに残る古代都市遺跡。海に近い場所に石造りの遺構が広がり、かつて島だった町の痕跡が見える。
現在のティルス(レバノン)。
Photo: Roman Deckert / Wikimedia Commons
License: CC BY-SA 4.0

城壁は高く、
港は閉ざされ、
敵は海の向こうで
こちらを眺めている。

攻めようがない。
そう思った兵は、
私だけではなかったはずだ。

船はない。
泳いで渡れる距離でもない。

だが、
王は引き返さなかった。

ある日から、
海に石が投げ込まれ始めた。

最初は、
何を命令されているのか分からなかった。
だが、
それは少しずつ、
少しずつ――
形になっていった。

陸から、
海へ。

海の上に、
道が伸びていく。

壊れた家の石、
崩した町の瓦礫、
あらゆるものが
海に投げ込まれた。

アレクサンダー大王のティルス攻囲戦で港が戦場になっている様子を描いた歴史画
船も、壁も、海も、敵だった。
それでも前へ進め、と命令は続いた。

波に崩され、
また積み直し、
それでも前へ進む。

気づけば、
海は、
海ではなくなっていた。

道の先で、
町は逃げ場を失った。

海に浮かんでいたはずの町は、
もはや、
浮かんではいなかった。

この戦いでは、
私は槍よりも土を運んだ。

石を積み、
木を並べ、
海へ向かって道を伸ばした。

町が落ちたとき、
勝ったという気はしなかった。

ただ、
南へ進めるようになった。

それだけだった。

エジプト ――迎えられた国

砂の国では、
戦いは起きなかった。

城門は閉じられず、
槍を構える前に、
人が集まってきた。

私たちは、
エジプト に入った。
そこでは、
王は敵ではなかった。

アレクサンダーは、
ファラオと呼ばれ、
神の子だとも言われた。

シワ・オアシスの神託所で神官から神の子と呼ばれるアレクサンダー大王を描いた17世紀の版画
何を告げられたのかは、
私たちには聞こえなかった。

正直に言えば、
私にはよく分からなかった。

彼らにとっては、
昨日まで、
槍を向ける相手だった男が、
今日は、
神の子として迎えられていた。

この遠征は、
どこへ向かっているのか。

列の中で、
そんなことを考えた。

それでも、
王は止まらなかった。

祭りのような日々のあと、
再び、
東へ向かう命が出た。

砂を背にして進むとき、
この先、
どれだけ歩くのか分からなくなった。

ガウガメラ ――分かれ道に立った日

和平の使者

エジプトを出て、
しばらくしたころだった。

陣に、
見慣れない一団が入ってきた。

ペルシア王からの使者だと、
噂が回った。

条件は悪くなかったらしい。
土地と金、
それから、
王の家族。

これで終わる。
そう思った者も、
きっといた。

正直に言えば、
私も一瞬、
そう思った。

これ以上、
何を望むのか、と。

夜、
焚き火のそばで、
そんな話をした。

「もう十分じゃないか」
誰かが言った。

誰も、
強く否定はしなかった。

だが、
命令は変わらなかった。

王は、
条件を退けたという。

ガウガメラの戦い

平原だった。
隠れるものは何もなく、
ただ、地面がどこまでも続いていた。

ガウガメラ(アルベラ)の戦いでアレクサンダー大王とダレイオス3世が対峙する様子を描いた17世紀の版画
列は、ただ前へ進み続けていた。

前方には、
見慣れない影が並んでいた。
象と、
刃をつけた戦車。

戦いが始まると、
それらは一斉に動き出した。

戦車が突っ込んできたとき、
列は、止まらなかった。
左右に、
ほんのわずかに開いただけだ。
戦車は、その間を走り抜けていった。

その後すぐ、
背後で叫び声が上がったが、
「前を向け」という指示がそれを消した。

象も、列の中へは入ってこなかった。
怒号と砂煙の向こうで、
いつのまにか、姿が消えていた。

気づけば、
敵の抵抗は薄れていた。

勝ったのだと、
あとで聞いた。

列を解かずに

ガウガメラの戦いは終わったが、
道は、まだ続いていた。

散り散りになった敵を追い、
私たちは、なお前へ進んだ。

大きな戦は起きなかった。
そして、行軍は止まらなかった。

そうして、気づけば――
ペルシアの王都、ペルセポリスの
目前に立っていた。

海を越え、
川を渡り、
名を知らない土地をいくつも通り過ぎて、
私たちは、ここに立っていた。

気づけば、
ギリシャを出てから、
四年ほどが過ぎていた。

剣はまだ手にあり、
歩けと言われれば、
まだ歩ける。

それは、
達成と呼んでもいい感覚だったのだと思う。

だが、
まだ終わりではなかった。

アレクサンダーは、
これで終わりだとは、
思っていなかったのだ。

その目は、
都の向こうを見ていた。
地図の外を、
さらに先を。

イランのアルヴァナク山地に広がる丘陵と乾いた山並みの風景
道は、また険しくなった。

私たちは、
ここまで来たと思っていた。

王だけが、
まだ途中だと思っていた。

だから、
列は解かれなかった。

剣を持ち、
荷を背負い、
私は、また前を向いた。

それは、
まだこの旅の前半だった。

※後編に続きます。

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