財布を忘れて出かけると、不安になります。
現金は持っただろうか。
カードは入っているだろうか。
最近ならスマートフォンの充電残量まで気になります。
では、もし財布そのものが存在しなかったらどうでしょうか。
南太平洋のヤップ島では、かつて巨大な石がお金として使われていました。
直径は数メートル。
重さは数トン。
当然ですが、財布には入りません。
というより、家の中に入れることすら難しそうです。
それでも島の人々は、その石で土地を買い、結婚の贈り物にし、ときには財産として相続していました。
さらに驚くことに、そのお金は持ち歩きません。
持ち主が変わっても、石はその場に置かれたままです。
では、誰のものかを記録していたのでしょうか。
帳簿でしょうか。
契約書でしょうか。
いいえ。
島の人たちの記憶だけが頼りでした。
話だけ聞くと、
「それで本当に大丈夫なの?」
と思ってしまいます。
しかし考えてみれば、私たちの銀行口座のお金も、実際には数字の記録にすぎません。
そしてその数字を価値あるものだと信じているのも、多くの人たちの共通認識です。
もしかすると不思議なのは、巨大な石をお金にしたヤップ島の人々ではなく、数字をお金にしている私たちの方なのかもしれません。
今回は、世界一重いお金が使われていたヤップ島を訪ねながら、「お金とは何か」を考える旅に出てみましょう。
南の島にあった「世界一重いお金」
お金なのに、持ち歩けない
ヤップ島は、南太平洋に浮かぶ小さな島です。
青い海とヤシの木が広がる南国の島ですが、ここには世界でも珍しい「石のお金」がありました。
その名も「ライストーン」。
中央に穴の開いた円盤状の石です。
小さなものでも人の背丈ほど。
大きなものは直径3メートルを超え、重さは数トンにもなります。

パブリックドメイン。
もはやお金というより、庭石や記念碑に近い大きさです。
財布に入らないのはもちろん、家に入れるのも大変そうです。
しかも、この石はヤップ島では採れません。
ヤップ島では大きな石が採れなかったため、遠いパラオ諸島まで航海して切り出していました。
危険な航海を経て持ち帰る苦労そのものが価値になったとも考えられています。
こうしてライストーンは、島の人々にとって特別なお金になっていったのです。
石は動かない、持ち主だけが変わる
みんなが信じればお金になる
ここで気になるのは、
「そんな大きな石を、どうやって支払うの?」
ということです。
私たちなら、お金を払うときは相手に渡します。
現金なら手渡し。
銀行振込なら口座へ送金します。
ところがヤップ島では違いました。
ライストーンは動かしません。
村の広場や道端に置かれたままです。
土地を買ったり、結婚の贈り物として譲ったりしても、石はその場から動きません。
変わるのは持ち主だけです。
島の人々が、
「この石は今日から○○さんのもの」
と認めれば、それで取引は成立しました。

撮影:stevenson_john/CC BY-SA 2.0
さらに驚くことに、運搬中に海へ沈んでしまった石も財産として認められていたといわれています。
誰も見ることができません。
それでも価値は失われませんでした。
不思議な話です。
お金そのものが存在しなくなっても価値が残る。
これは私たちの感覚では不思議ですが、銀行口座の数字も実物のお金を見ているわけではありません。
口座に100万円あったとしても、その人専用の100万円札が銀行の金庫に保管されているわけではありません。
私たちが持っているのは、実際には「この人は100万円を持っている」という記録です。
もしかするとヤップ島の人々は、私たちよりずっと早く、お金の正体が「モノ」ではなく「みんなの共通認識」であることを知っていたのかもしれません。
島の人たちは何を信じていたのか
島じゅうが台帳だった
では、島の人々は何を信じていたのでしょうか。
石そのものでしょうか。
それとも、その石に宿る特別な力でしょうか。
おそらく違います。
彼らが信じていたのは、
「あの石は誰のものか」
という共同体の共通認識でした。
ヤップ島では、石の所有者が変わるたびに契約書を書いていたわけではありません。
村の人々が、その出来事を知り、覚えていました。
だから、
「あの石は私のものだ」
と勝手に主張しても通用しません。
みんなが知っているからです。

Hamburger Südsee-Expedition 1908–1910より。パブリックドメイン
考えてみれば、これは現代のお金にも少し似ています。
一万円札が一万円として使えるのも、銀行口座の数字に価値があるのも、多くの人がそれを認めているからです。
ヤップ島の人々は、巨大な石を使いながら、お金の価値が石そのものではなく、人々の信頼によって支えられていることを知っていたのかもしれません。
本当にお金だったのか
お金か、家宝か
ここまで読むと、
「それはお金というより家宝では?」
と思うかもしれません。
確かに、ライストーンを持って市場へ行き、魚や果物を買うことはできません。
ライストーンは、むしろ家宝のような存在でした。

出典:TTPI Headquarters(パブリックドメイン)
代々受け継がれ、結婚や相続、土地の売買など、人生の大切な場面で受け渡されたのです。
しかし考えてみると、私たちも家を買うときに財布の現金を使うわけではありません。
土地や家、美術品や金の延べ棒も、普段の買い物には使えませんが財産として価値を持っています。
ライストーンも同じだったのかもしれません。
日常のお金というより、大きな価値を保管し、受け継ぐためのお金。
現代の感覚では家宝に近く見えますが、島の人々にとっては確かに「お金」でもあったのです。
お金の正体
お金は信用でできている
ヤップ島の石貨を見ていると、不思議な気持ちになります。
重い石がお金になる。
しかも持ち歩かない。
ときには海の底に沈んだままでも価値が認められる。
考えてみれば、お金らしい特徴がほとんどありません。
それでも島の人々は、その石をお金として使っていました。
なぜでしょうか。
それは、石そのものに価値があったからではありません。
人々がその価値を信じていたからです。

撮影:Bank of Canada Museum/CC BY 2.0
実は、私たちが使うお金も同じです。
一万円札は紙ですし、銀行口座の残高は数字の記録にすぎません。
それでも価値があるのは、多くの人がそれを信じているからです。
ヤップ島の人々は、巨大な石を通して、お金の本質を教えてくれます。
お金とは、石でも紙でも数字でもありません。
人と人との信頼が形になったものなのかもしれません。
世界一重いお金が教えてくれること
お金の正体を探して
世界一重いお金を使っていたヤップ島の人々。
その話は、一見すると少し変わった南の島の文化に見えます。
しかし、その石貨をたどっていくと、私たちが当たり前だと思っている「お金」について考えさせられます。
お金は紙だから価値があるのでしょうか。
数字だから価値があるのでしょうか。
それとも、人々が価値を信じているからなのでしょうか。
ヤップ島の人々は、巨大な石を使いながら、
お金の本質が石そのものではないことを知っていたのかもしれません。
もっとも、私は給料日になって自宅に巨大な石が届く生活は遠慮したいですが。
それでも、お金の正体について考えるなら、ヤップ島の石貨は意外と優秀な先生なのかもしれません。


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