イスタンブールの写真や動画を見ていると、つい猫を探してしまいます。
路地を歩いていたり、店先で眠っていたり、階段の途中で気持ちよさそうにくつろいでいたり。
観光名所を見ているはずなのに、いつの間にか画面の隅にいる猫のほうが気になっている。
猫好きなら、そんなこともありそうです。
中には、どう見ても人間よりその場所になじんでいる猫もいます。
もっとも、私自身は実際にこの街を歩いたことはありません。
それでも、写真や映像を眺めていると、イスタンブールでは猫が特別な存在というより、
ごく普通の「街の住人」のように暮らしていることが伝わってきます。
誰か一人に飼われているわけではないのに、ごはんをもらい、水を用意してもらい、
ときには寝床まである。
ずいぶん自由です。
そして、ずいぶん愛されています。
なぜ、イスタンブールではこんなふうに人と猫が一緒に暮らしているのでしょう。
今回は、そんな猫たちの姿を眺めながら、この街と猫の長い付き合いをたどってみたいと思います。
もしかすると読み終わるころには、イスタンブールの名所より先に、
猫に会いに行きたくなっているかもしれません。
猫が当たり前にいる街、イスタンブール
イスタンブールの写真や動画を見ていると、猫好きならつい画面の隅まで目で追いたくなります。
路地の角に一匹。
店先の椅子に一匹。
階段の途中では、こちらの都合などお構いなしに、気持ちよさそうに丸くなっている猫もいます。
「あ、またいた」
そう思ったそばから、今度は別の猫が現れる。
観光名所を見ているはずなのに、いつの間にか猫探しになってしまいそうです。

Photo: Elgaard / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
しかも、イスタンブールの猫たちは、どこか堂々としています。
人の行き交う場所でも慌てる様子はなく、店先やベンチでのんびり昼寝をしている。
まるで「ここは昔から私の場所です」とでも言いたげです。
その姿を見ていると、人間の街に猫が紛れ込んでいるというより、
人と猫が同じ街をそれぞれのペースで使っているように見えてきます。
猫好きにとっては、きっとたまらない風景でしょう。
探しに行かなくても、猫が向こうから日常の中に現れてくれる。
イスタンブールは、そんな街なのかもしれません。
誰の猫でもないけれど、みんなの存在
イスタンブールの猫たちを見ていて不思議なのは、誰か一人の飼い猫ではないのに、
ちゃんと誰かに気にかけてもらっていることです。
店先には水の入った器が置かれ、路地にはごはんが用意され、
ときには雨や寒さをしのげる小さな寝床まであります。
「あの家の猫」「この店の猫」と決まっているわけではない。
それでも、街の人たちは猫がそこにいることを知っていて、
できる範囲で世話をしています。
飼い主はいなくても、顔見知りはたくさんいる。
そんな関係なのかもしれません。

Photo: Calistemon / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
猫のほうも、人間にべったりというわけではありません。
ごはんをもらったら、また好きな場所へ歩いていく。
眠くなれば店先で丸くなり、気が向けば誰かのそばに座る。
自由に暮らしているのに、完全にひとりぼっちでもない。
その距離感が、なんとも猫らしく感じられます。
誰のものでもない。
けれど、誰からも無関心にされているわけでもない。
イスタンブールの街では、そんな猫たちが、
人の暮らしのすぐそばで今日も自分の居場所を見つけています。
もしかすると猫たちにとっては、街全体がひとつの大きな家なのかもしれません。
港町ではじまった長い付き合い
イスタンブールと猫の付き合いが長くなった背景には、
この街が古くから大きな港町だったことも関係しているようです。
ヨーロッパとアジアの間にあり、黒海と地中海を結ぶ場所にあるイスタンブールには、
昔から多くの船と荷物が行き交ってきました。

Photo: Till Niermann / Wikimedia Commons / CC BY 3.0
船や倉庫に穀物や食料があれば、困るのがネズミです。
そこで頼りにされたのが猫でした。
猫は船に乗ってネズミを捕り、港では倉庫の食料を守る。
今では店先でのんびり昼寝をしている猫たちも、昔をたどれば、
街の暮らしを助ける大切な存在だったわけです。
イスタンブールでは、オスマン帝国の時代にも猫が害獣を抑える役割を担っていたとされています。
そう考えると、猫たちは最初から「かわいい街の人気者」だったわけではなかったのでしょう。
人間にとって役に立つ存在としてそばにいて、長い年月をかけて、
いつの間にか街の風景の一部になっていった。
そしてネズミ退治の仕事から解放された今では、店先やベンチで気持ちよさそうに眠っています。
長年働いてきたご褒美だと思えば、少しくらい昼寝が長くても大目に見たくなります。
受け入れられてきた理由
街で猫がこれほど自然に人の暮らしの中へ溶け込んでいる背景には、
イスラム文化との関わりもあるようです。
イスラムの伝承では、猫は人のそばを行き来する身近な動物として扱われてきました。
たとえば、預言者ムハンマドの言葉を伝えるハディースには、猫が水を飲んだ器について、
「猫は不浄ではない」という趣旨の言葉が残されています。
猫が人の暮らしの中に入ってくること自体が、特別なことではなかったのでしょう。
そうした考え方が長い年月をかけて、人と猫の距離を近いものにしていったのかもしれません。

写真:写真AC
イスタンブールでは、猫が店先に座っていても、人のそばで眠っていても、
それほど不思議な光景には見えないようです。
人間の場所と猫の場所を、きっちり分けていないようにも見えます。
もちろん、猫のほうは宗教や歴史など気にしていないでしょう。
気持ちのよい場所があれば座り、お腹がすけばごはんをもらい、眠くなれば丸くなる。
けれど、そんな気ままな暮らしが何百年も続いてきたのだとしたら、
それは人の側にも、猫を受け入れる余地がずっと残されてきたからなのかもしれません。
猫を見れば、街の人が見えてくる
イスタンブールの猫を見ていると、猫だけでなく、そのそばにいる人たちの姿も見えてきます。
店先に水を置く人。
路地にごはんを用意する人。
寒い時期には、小さな寝床をつくる人もいます。
どれも大げさなことではありません。
「猫を助けています」と特別に構えるというより、そこにいるから、できることをしている。
そんな自然さがあります。

写真:写真AC
猫が店先にいても、邪魔者のように扱わない。
少し場所を譲ったり、そのままそっとしておいたりする。
そうした光景を見ていると、この街で猫が暮らしやすい理由は、猫そのものにあるだけではないのだと思えてきます。
猫を受け入れてきた人たちがいて、その積み重ねが、今のイスタンブールの風景をつくってきたのでしょう。
考えてみれば、街の雰囲気というのは、大きな建物や有名な観光名所だけで決まるものではありません。
道端の猫に水を置く。
眠っている猫を起こさずに通り過ぎる。
そんな小さな振る舞いにも、その街らしさは表れるのかもしれません。
この街では、猫もひとりの住人
イスタンブールの猫たちは、誰か一人のものではありません。
それでも、ごはんをもらい、水を用意してもらい、ときには寝床まで用意してもらいながら、
街の中で自由に暮らしています。
港町として長い時間を過ごしてきたこの街では、猫はネズミを捕る存在として人の役に立ち、
やがて暮らしの中へ自然に溶け込んでいきました。
今では、店先で眠っていても、路地を歩いていても、それが特別なことではない。
猫がいることそのものが、イスタンブールの日常になっています。

写真:写真AC
もちろん、猫のほうは街の雰囲気をよくしようなどとは考えていないでしょう。
たまたま気に入った場所で眠っているだけ。
けれど、その気ままさを人が受け入れ、人もまた猫のそばで暮らしている。
そんな関係が、この街らしい風景をつくっているのかもしれません。
もし、いつかイスタンブールを歩くことがあったなら。
有名なモスクや海峡を見るのも楽しみですが、その途中で出会う一匹の猫にも、
きっと足を止めてしまうと思います。
そしてたぶん、猫のほうはそんなこちらを気にもせず、また昼寝を続けるのでしょう。

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