地図に記された小さな印。
古びた暗号文。
誰かが最期に残した、意味ありげな言葉。
そして、「このあたりに莫大な財宝が眠っているらしい」という噂。
財宝伝説には、不思議な力があります。
本当に宝があるのかどうか分からなくても、人は船を出し、密林へ入り、山を掘り、
難しい暗号とにらめっこしてきました。
なかには、何十年もの時間や莫大な費用を費やした人もいます。
そこまでして探したくなるのは、金や宝石が欲しいからだけではないのでしょう。
「もしかすると、本当にあるかもしれない」
その可能性が、想像力に火をつけるのです。
今回は、
・本当に財宝を隠したとされる海賊
・二百年以上も掘られてきた謎の島
・南米の奥地にあると信じられた黄金郷
・今も解けない暗号
・日本で最も有名な徳川埋蔵金まで
日本と世界に残る五つの財宝伝説をたどります。
もっとも、この記事を読み終えたからといって、庭を掘り始める必要はありません。
たいてい出てくるのは金貨ではなく、石か木の根です。
海賊は本当に宝を隠した──キャプテン・キッドの財宝
海賊の財宝と聞くと、まず思い浮かぶのは、古びた海図と大きな×印ではないでしょうか。
人けのない島へ上陸した海賊たちが、砂浜に穴を掘り、金貨の詰まった木箱を埋める。
そして場所を忘れないよう、地図へ印をつける。
いかにも冒険物語らしい光景ですが、実際の海賊は奪った品を仲間に分配したり、港で売ったりするため、
わざわざ地面に埋めることはほとんどなかったと考えられています。
ところが、その珍しい例として名前が残ったのが、17世紀末に活動したウィリアム・キッド。
通称キャプテン・キッドです。

作者不詳・1933年・Public Domain
キッドは、最初から海賊になるつもりで海へ出た人物ではありませんでした。
イングランドから、敵国の船や海賊を捕らえることを認められた私掠船の船長として出航します。
しかし、思うような成果を上げられないまま航海が長引き、やがてインド洋で船を襲ったことで、
自らが海賊として追われる立場になりました。
1699年、北米へ戻ったキッドは、ニューヨーク沖のガーディナーズ島へ立ち寄ります。
そこで島の所有者に預ける形で、金銀だけでなく、宝石、絹、香辛料などを含む品々を残しました。
これらはキッドが逮捕されたあと、当局によって回収されています。
つまり、「キッドが島に財宝を隠した」という話には、少なくとも史実の核があったのです。
やがてキッドはイングランドへ送られ、1701年に処刑されました。
しかし、回収された財宝ですべてだったのでしょうか。
追われる船長が、持っていた品を一か所だけに残したとは限らない。
どこか別の島にも、まだ財宝が眠っているのではないか。
そんな想像が広がり、北米東海岸やカリブ海など、キッドが立ち寄ったとされる各地で宝探しが始まりました。
何世代もの探索者が地面を掘りましたが、伝説を裏づける新たな大財宝は見つかっていません。
一部の宝が本当に存在したからこそ、「残りもあるはずだ」という期待を消せなかったのでしょう。
宝がまったく見つからなければ、伝説は早く忘れられたかもしれません。
少しだけ本物が見つかったために、キャプテン・キッドの財宝探しは、
三百年以上たっても終われなくなってしまったのです。
宝よりも穴が有名になった──オーク島のマネー・ピット
キャプテン・キッドの財宝には、実際に宝が隠されたという史実の核がありました。
しかし、次に向かう島では、誰が何を隠したのかさえ分かっていません。
舞台は、カナダ東部ノバスコシア州のオーク島です。
財宝伝説が始まったのは1795年ごろ。伝承によると、島を訪れた少年が地面の不自然なくぼみを見つけ、仲間と掘り始めました。
すると、土の中から石や丸太の層が現れます。
「これは自然の穴ではなく、誰かが何かを埋めた跡ではないか」
そう考えられた穴は、やがて「マネー・ピット」――“財宝の穴”と呼ばれるようになりました。
その後、探索者たちはさらに深く掘りましたが、財宝へ近づいたと思うたびに穴へ水が流れ込みました。
そこから、「海から水を引き込む仕掛けが財宝を守っているのではないか」という説まで生まれます。
ただし、この仕掛けが本当に存在するのかは分かっていません。島の地質による自然な浸水や、長年の発掘工事で地下が複雑になった可能性もあります。
それでも、「穴の奥には何かがある」という期待は消えませんでした。

作者不詳・19世紀・Public Domain
海賊の財宝。
テンプル騎士団の宝。
フランス王家の宝石。
さらには、歴史を揺るがす古文書まで。
一つの島の地下にしては、少し荷物が多すぎる気もします。
けれど、決定的な財宝が見つからないからこそ、新しい説が入り込む余地も残り続けました。
オーク島では、何世代もの探索者が資金を集め、大型の掘削機械まで持ち込んで発掘を続けています。
それでも、伝説を終わらせるような巨大財宝は、今も確認されていません。
考えてみれば、オーク島で最も確実に残っているのは、金貨でも宝石でもありません。
「ここには何かがある」と信じて掘り続けた人々の跡です。
財宝を探すために穴を掘り、その穴の謎を解くために、また穴を掘る。
そうして二百年以上が過ぎ、いつしかオーク島では、埋められた宝よりも、掘り続けられた穴のほうが有名になってしまいました。
一人の黄金伝説が都市になった──エル・ドラド
オーク島では、一つの穴にさまざまな財宝が詰め込まれていきました。
南米のエル・ドラドでは、伝説そのものが次第に大きくなっていきます。
エル・ドラドと聞くと、密林の奥に眠る黄金都市を思い浮かべるかもしれません。
しかし、もともと語られていたのは都市ではなく、「黄金に包まれた人」でした。
現在のコロンビア周辺に暮らしていたムイスカの人々には、新たな首長の就任に際し、湖で金製品などをささげる儀式があったと伝えられています。首長が金粉を身につけたという話から、スペイン人は彼を「エル・ドラド」、
つまり“黄金の人”と呼ぶようになりました。
ムイスカの儀式を表したと考えられる黄金製の筏も残っており、伝説には現実の文化や信仰という土台がありました。

写真:Andrew Bertram/CC BY-SA 1.0
ところが、その話が伝わるにつれて、黄金の人は黄金の王になり、やがて黄金の都市、さらには黄金の国へと姿を変えていきます。
多くの探検家が南米の内陸部へ入りましたが、想像されたような黄金都市は見つかりませんでした。
見つからなければ、普通は存在を疑うところです。
しかしエル・ドラドの場合は、「場所が違ったのではないか」と考えられ、
伝説の舞台がさらに遠くへ移っていきました。
こうして探検は続き、その過程では先住民への征服や暴力も起きました。
黄金への期待は、人を未知の土地へ向かわせる力になる一方で、そこに暮らす人々の生活を壊す力にもなったのです。
エル・ドラドは、金でできた都市が見つからなかった物語ではありません。
一人の首長と湖の儀式から始まった話が、人々の欲望によって、都市一つでも収まらないほど大きくなった物語なのです。
掘る前に、まず解け──ビール暗号の財宝
ここまでの財宝探しでは、船を出したり、山や島を掘ったりしてきました。
ところが、ビール暗号の財宝は少し違います。
そもそも、どこを掘ればよいのか分かりません。
19世紀のアメリカで、トーマス・J・ビールという人物が、西部で手に入れた金や銀、宝石をバージニア州のどこかに埋め、その場所を三枚の暗号文に残したとされています。

画像:Historicair/CC BY-SA 3.0
一枚目は財宝の場所。
二枚目は財宝の内容。
三枚目は財宝の所有者や相続人の名前。
このうち、二枚目だけはアメリカ独立宣言を鍵にして解読されたとされ、莫大な金銀が埋められているという内容が現れました。
ところが、肝心の場所を示す一枚目は今も解けていません。
つまり、財宝が本当にあるとしても、スコップを持って出かける段階にすら到達していないのです。
しかも、この話にはもう一つ大きな謎があります。
ビール本人の実在を裏づける確かな記録が乏しく、暗号そのものが19世紀に作られた創作ではないかという説もあります。
財宝の場所が分からない。
その前に、財宝が本当にあるのかも分からない。
それでも暗号が残っている限り、「もし解けたら」という期待は消えません。
ビール暗号は、地面の下ではなく、文字の中に財宝が埋まっているような伝説なのです。
幕府の金はどこへ消えた──徳川埋蔵金
世界の海や島、密林、暗号を巡ってきましたが、最後は日本です。
徳川埋蔵金。
日本の財宝伝説の中では、もっとも有名な名前の一つでしょう。
話の舞台は幕末です。
江戸幕府が終わりを迎えたとき、幕府が長年蓄えてきたはずの莫大な御用金が見当たらなかったことから、「どこかへ運び出して隠したのではないか」という噂が生まれました。
その中心人物として語られることが多いのが、幕府の勘定奉行などを務めた小栗忠順です。
小栗が幕府再興に備えて金を隠した、という説が広まり、やがて群馬県の赤城山周辺が有力な埋蔵地として知られるようになりました。

赤城山中には、意味ありげな石や地形、古文書など、財宝の手がかりではないかとされたものもあります。
そして多くの人が実際に山を掘りました。
テレビ番組で大規模な発掘が行われたこともあり、「徳川埋蔵金」という言葉だけなら知っている人も多いでしょう。
しかし、幕府の莫大な財宝が埋められていたことを示す決定的な証拠は、今も見つかっていません。
そもそも、本当に巨大な御用金が一か所に存在していたのか。
幕府の財政を考えれば、伝説で語られるほどの金が残っていたのか。
そんな疑問もあります。
それでも、徳川埋蔵金の話は消えません。
二百年以上続いた幕府が終わるとき、最後に何かを隠したのではないか。
そう考えると、歴史の空白に宝箱を置きたくなるのかもしれません。
海賊の島や黄金都市なら遠い世界の話ですが、徳川埋蔵金の舞台は日本の山です。
そう思うと、財宝伝説が急に身近に感じられます。
もっとも、赤城山へスコップを持って向かう前に、まずは本当に掘ってよい場所なのか確認したほうがよさそうです。
見つからないからこそ、人は探したくなる
キャプテン・キッドの財宝。
オーク島の謎の穴。
南米の黄金郷エル・ドラド。
解けないビール暗号。
そして、徳川埋蔵金。
どの財宝伝説にも共通しているのは、決定的な宝が見つかっていないことです。
それでも、人々は船を出し、山へ入り、地面を掘り、暗号と向き合ってきました。
なぜ、そこまでして探すのでしょう。
もちろん、金や宝石への期待もあるでしょう。
けれど、それだけで二百年、三百年と人を引きつけ続けるとは、少し考えにくい気もします。
「まだ誰も見つけていない」
「もしかすると、自分が最初かもしれない」
そんな可能性そのものが、人を動かしてきたのではないでしょうか。

もし財宝がすべて見つかり、場所も中身も分かってしまえば、それはもう伝説ではありません。
見つからないから想像できる。
分からないから、次の人が探しに行く。
財宝伝説が何百年も生き残ってきた理由は、宝箱の中身よりも、その少し手前にある「もしかしたら」にあるのかもしれません。
そう考えると、昔の人が宝を隠すのが特別うまかったというより、私たちのほうが「まだあるかもしれない」と考えるのが得意なのかもしれません。
見つからない。
だから、終わらない。
今もどこかで誰かが、「今度こそ」と地図を広げているのかもしれません。

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