青い目、馬蹄、ハムサ、十字架。これだけ並ぶと、守りの層がずいぶん厚そうです
画像:Photo: Zinneke / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
旅に出るとき、あなたなら何を持っていきますか。
財布、スマートフォン、着替え、地図。
今なら、必要なものはだいたい決まっています。
けれど昔の旅人たちは、もうひとつ、少し不思議なものを持って旅に出ることがありました。
それは、「無事に帰ってこられますように」という願いを託した、小さなお守りです。
青い目玉のようなガラス玉。
手のひらをかたどった飾り。
聖人が描かれたメダル。
幸運を呼ぶと信じられた動物や植物。
姿かたちは違っていても、そこに込められた願いは、どこか似ています。
知らない土地へ向かうこと。
遠く離れた場所へ移動すること。
そして、また大切な人のもとへ帰ってくること。
旅には、いつの時代も少しだけ不安がつきまといました。
だから人は、目には見えない「大丈夫」を、手に取れる形にして持ち歩いてきたのかもしれません。
今回は、世界各地で旅人たちを見守ってきた、不思議なお守りをめぐってみましょう。
信じるかどうかは、ひとまず置いておいて。
そこに込められた「どうか無事で」という願いをたどっていくと、遠い国の人たちが、少しだけ身近に見えてくるかもしれません。
旅人は、なぜお守りを持って出かけたのか
昔の旅は、今よりずっと危険なものでした。
道は整っておらず、途中で病気になることもあれば、
盗賊に襲われたり、嵐や遭難に巻き込まれたりすることもあります。
無事に目的地へ着けるかどうかは、出発してみないと分かりません。
となれば、できることは何でもしておきたくなります。

こんな景色を前にしたら、旅人が神様にもお願いしたくなった気持ち分かる気がします
Photo: Nisal Senanayaka / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
丈夫な靴を履く。
食べ物を持つ。
道を知る人に話を聞く。
そして最後は、神様にもお願いする。
人々は神様や聖人に祈り、お札や護符、小さな飾りを身につけて、
「どうか無事に帰れますように」と願いました。
考えてみれば、ずいぶん念入りです。
それだけ旅が命がけだった、ということなのでしょう。
もちろん、お守りが本当に危険を遠ざけたかどうかは分かりません。
それでも、「自分は守られている」と思えるものが手元にあることは、
心細い旅の途中で大きな支えになったはずです。
世界各地に残る旅のお守りには、そんな昔の人々の不安と願いが込められています。
青い目が災いをはね返す|トルコのナザール・ボンジュウ
トルコの写真や街並みを見ていると、青い目玉のような飾りが目に入ることがあります。
名前は「ナザール・ボンジュウ」。
家の入口や店先、アクセサリー、キーホルダーなど、さまざまな場所で使われているお守りです。
見た目は、かなり目立ちます。
お守りというより、「ずっと見てますよ」と言われているような気もします。
でも、この目はこちらを監視しているわけではありません。
トルコには昔から、人の強い視線や妬みが災いをもたらすという「邪視」の考え方があります。
ナザール・ボンジュウは、そうした悪い視線を受け止めたり、そらしたりしてくれるものだと信じられてきました。
つまり、悪い視線には、もっと大きな目で対抗する。
なかなか分かりやすい作戦です。

これだけ目があると、悪い視線のほうが少し気まずくなりそうです
Photo: Eylulkizil / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
しかも、守られるのは人だけではありません。
家や店、持ち物などにも飾られ、新しく生まれた赤ちゃんへの贈り物として使われることもあります。
青くてきれいなトルコ土産。
けれど、その小さなガラスの目には、
「悪いことが起きませんように」
という、昔から変わらない願いが込められています。
手のひらに込めた守り|中東・北アフリカのハムサ
中東や北アフリカには、手のひらの形をした「ハムサ」と呼ばれるお守りがあります。
五本の指を広げたような姿で、中央に目が描かれているものもあります。
見た目だけなら、まるで「ちょっと待った」と手を出しているようです。

Photo: Elisa Arteaga / Wikimedia Commons / CC BY-SA 2.0
けれど、その意味はなかなか頼もしいもの。
ハムサは、邪視や災いから身を守る護符として使われてきました。
地域や宗教によって呼び方や意味には違いがあり、イスラム文化では「ファーティマの手」、ユダヤ文化では「ミリアムの手」と呼ばれることもあります。
手のひらで災いを押し返し、そこに描かれた目で悪い視線を見張る。
そう考えると、なかなか守りの固いお守りです。
家の壁に飾られたり、アクセサリーとして身につけられたりと、今でも広く親しまれています。
形も呼び名も違っていても、そこに込められているのは、
「悪いものから守ってほしい」
という、昔から変わらない願いです。
旅人の聖人が見守る|聖クリストフォロスのメダル
ヨーロッパには、旅人を守る聖人として親しまれてきた「聖クリストフォロス」がいます。
その姿を刻んだメダルは、旅のお守りとして身につけられてきました。

見た目は小さなペンダントですが、背負っているものはかなり大きめです
The Metropolitan Museum of Art / Wikimedia Commons / CC0
聖クリストフォロスには、こんな伝説があります。
ある日、彼は川を渡れずに困っていた小さな子どもを背負い、向こう岸まで運ぼうとしました。
ところが川を進むほど、なぜか子どもがどんどん重くなっていきます。
ずいぶん体重の増え方が急です。
ようやく川を渡りきると、その子どもはキリストであり、
クリストフォロスはキリストとともに世界の重みまで背負っていたのだと伝えられています。
「クリストフォロス」という名前にも、「キリストを運ぶ者」という意味があります。
この伝説から、彼は旅人や船乗りなどを守る存在として広く信仰されるようになりました。
中世には、旅人を導く団体が聖クリストフォロスを守護者とした例もあり、
その像は橋の近くに置かれることもありました。
その後、聖クリストフォロスの姿を刻んだメダルも、
旅の無事を願うものとして身につけられるようになります。
長い道のりに出るとき、
「どうか無事に目的地へ着けますように。そして帰ってこられますように」
そんな願いを、小さなメダルに託したのでしょう。
旅人の荷物はできるだけ軽いほうがいい。
でも、安心だけは少し多めに持っていきたかったのかもしれません。
幸運を連れていく小さな印|馬蹄・四つ葉・動物のお守り
旅のお守りは、目や手の形をしたものばかりではありません。
ヨーロッパでは、馬の蹄につける「馬蹄」が幸運の印として親しまれてきました。
鉄でできた馬蹄には、悪いものを遠ざける力があると考えられたこともあり、
家の入口などに飾られるようになりました。
四つ葉のクローバーも、よく知られた幸運の象徴です。

見つけた時点で、もう少し運を使った気もします
Photo: Cygnus921 / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
普通は三つ葉なのに、たまに四つ葉が見つかる。
それだけでも、なんだか少し得をした気分になります。
世界にはほかにも、動物や植物をかたどった縁起物が数多くあります。
フクロウに知恵を重ねたり、ゾウに幸運や繁栄を願ったり。
同じ動物でも、土地によって込められる意味が違うことがあります。
理由は地域によってさまざまです。
共通しているのは、「これを持っていれば、少し良いことがありそうだ」と思わせてくれること。
旅先では、そんな小さな期待も立派な荷物のひとつだったのかもしれません。
形は違っても、願いは同じ|世界と日本の旅のお守り
日本でも、旅の安全を願う気持ちは昔からありました。
今のように電車や自動車があるわけではなく、長い旅の多くは徒歩です。
峠を越え、川を渡り、何日もかけて目的地へ向かう。
となれば、出発する側も、見送る側も心配になります。
そこで人々は、神社やお寺で道中安全を祈り、お札やお守りを持って旅に出ました。
伊勢参りや善光寺参りのような長い旅では、旅そのものが信仰と結びついていたこともあります。
無事に目的地へ着けるように。
そして、ちゃんと家まで帰ってこられるように。
お願いすることは、昔も今もあまり変わりません。

日本のお守りは担当部署がかなり細かく分かれています
Photo: Leongboy1 / Wikimedia Commons / Public Domain
ただ、昔の旅は今よりずっと大変です。
「ちょっとそこまで」が、何日もかかることだってあります。
それなら、お守りのひとつくらい持っていきたくなるのも当然です。
トルコの青い目玉も、中東の手のひらも、ヨーロッパの聖人のメダルも、日本の道中安全のお守りも。
形は違っていても、その奥にあるのは同じような願いでした。
「どうか無事で。そして、また帰ってきてください」
旅のお守りには、そんな見送る人の気持ちまで一緒に込められていたのかもしれません。
まとめ|目に見えない願いを、手に取れる形にして
世界のお守りを見ていくと、人は昔から、目には見えない願いを何かの形にしてきたことが分かります。
青いガラス玉。
手のひらの形。
聖人のメダル。
日本のお守り。
かなり個性派ぞろいですが、願いはよく似ています。
「どうか無事で」
考えると、昔に比べて旅はずっと安全になりました。

あとは無事に帰ってくるだけです
地図も宿も電車の時間も、今ではスマートフォンが教えてくれます。
翻訳までしてくれます。
ずいぶん頼もしくなりました。
ただし、
「この先、何も悪いことは起きません」
とまでは教えてくれません。
その「自分ではどうにもできない部分」に、小さな願いを置いておく。
それがお守りなのかもしれません。
そして、お守りには、
「あなたのことを気にかけています」
という気持ちも込められています。
旅先でお守りを見つけたとき。
そこには、その土地の文化と、昔から続く「どうか無事で」という願いが見えてくるのです。

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