チャタル・ヒュユクの復元模型。9000年前は玄関まで梯子が標準装備?
写真:Ramazan Volkan ÇOBAN(Shiftetelli)/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0(改変なし)
家に帰るとき、私たちは玄関のドアを開けます。
ところが、今から約9000年前のトルコには、そんな当たり前が通用しない街がありました。
玄関は、なんと屋根の上。
家に帰るには、まず屋根に登り、そこから梯子を使って室内へ降りなければなりません。
しかも、家と家の間には、私たちが想像するような道路もありませんでした。
雨の日はどうしたのでしょう。
重い荷物を持って帰るときは?
そもそも、なぜそんな造りにしたのでしょうか。
現代の私たちからすると、少々不便そうです。
引っ越し業者さんも、できれば遠慮したい物件かもしれません。
けれど、この街では、人々が何世代にもわたって暮らし続けていました。
その場所が、トルコ中部に残る世界遺産、チャタル・ヒュユクです。
発掘された住居跡からは、当時の食事や家族の暮らし、さらには亡くなった人々との向き合い方まで、
さまざまなことが見えてきました。
一見不思議な街の構造にも、当時の人々なりの理由があったのかもしれません。
9000年前の人々は、なぜこのような街で暮らしていたのでしょうか。
今回は、地中に眠っていた古代の街を訪ねながら、遠い昔の人々の日常をのぞいてみたいと思います。
もちろん、今回も現地には行っていません。
でも、想像の旅なら屋根に登るのも自由自在。
梯子から落ちる心配もありません。
それでは、約9000年前のチャタル・ヒュユクへ。
屋根の上から、お邪魔しましょう。
9000年前、トルコに不思議な街があった
今から約9000年前。
現在のトルコ中部、コンヤ平原には、多くの人々が集まって暮らす場所がありました。
その名は、チャタル・ヒュユク。
ちょっと覚えにくい名前ですが、人類の暮らしの歴史を知るうえで、とても重要な遺跡です。
人々がここで暮らし始めたのは、紀元前7400年ごろ。
まだ文字もなく、金属製の道具も一般的ではなかった新石器時代のことです。
人々は農作物を育て、動物を飼い、家を建てながら生活していました。
そして、この場所では、住居を建て替えながら長い年月にわたって暮らしが営まれていたのです。
やがて人々が去り、古い住居は土に埋もれていきました。

撮影:Murat Özsoy 1958/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0
その遺跡が考古学者たちによって確認されたのは、1958年のこと。
発掘が進むにつれ、泥レンガで造られた家々や壁画、さまざまな生活の痕跡が姿を現しました。
その歴史的な価値が認められ、2012年にはユネスコ世界遺産にも登録されています。
ところが、この遺跡には、現代の私たちから見ると、少々不思議な特徴がありました。
家々がぎっしりと並んでいるのに、道路らしい道路が見当たらないのです。
当然、疑問が浮かびます。
「それで、どうやって家に帰ったの?」
約9000年前の住宅事情は、私たちの想像以上に独特だったようです。
次は、この街の不思議な構造を見ていきましょう。
道路がない街では、屋根の上が通り道だった
私たちが暮らす街には、当たり前のように道路があります。
ところが、チャタル・ヒュユクには、現代のような道路がありませんでした。
家々が、まるでパズルのピースのように、ぎっしりと並んでいたのです。
では、人々はどうやって移動していたのでしょうか。
答えは、屋根の上です。

撮影:Wolfgang Sauber/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0(改変なし)
家々の屋根は平らに造られ、人々はそこを通路のように利用していたと考えられています。
つまり、現代ならめったに登らない屋根の上が、当時は日常の通り道だったのです。
ご近所さんとの立ち話も、屋根の上だったのかもしれません。
もっとも、集落全体が建物で埋め尽くされていたわけではなく、建物の間には屋外の空間もありました。
それでも、道路を中心に家が並ぶ現代の街とは、ずいぶん違います。
なぜ、わざわざこんな街をつくったのでしょうか。
その理由は、まだはっきりとは分かっていません。
そして、屋根の上を歩く人々には、もうひとつ独特な習慣がありました。
なんと、家の出入りも屋根からだったのです。
行ってきますも、ただいまも、まず梯子から
チャタル・ヒュユクでは、家の出入りにも一風変わった仕組みがありました。
玄関の代わりに、屋根に穴が開いていたのです。
人々はそこに設けられた梯子を使って、家の中へ降りていました。

帰宅して最初にするのは、靴を脱ぐより足元の確認かも。
撮影:Dosseman/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0(改変なし)
外出するときは梯子を登り、帰宅するときは梯子を降りる。
現代なら玄関のドアを開けるだけですが、当時はちょっとした運動が必要だったようです。
しかも、この開口部には、もうひとつ大切な役割がありました。
室内のかまどから出る煙を、外へ逃がすことです。
つまり、玄関と換気口を兼ねていたわけです。
なかなか合理的な仕組みにも思えます。
ただ、気になることもあります。
重い荷物を運ぶときは?
小さな子どもや、お年寄りは?
毎日のことですから、当時の人々も何かしら工夫していたのでしょう。
そして、もうひとつ。
雨が降ったら、どうしていたのでしょうか。
屋根に穴が開いているのですから、雨水が入り込んでも不思議ではありません。
9000年前の住宅事情には、まだまだ気になることがありそうです。
屋根の下には、どんな暮らしがあったのか
屋根から家の中へ降りてみると、そこには意外にも、暮らしやすさを考えた空間が広がっていました。
泥レンガで造られた家の内部には、調理用のかまどや、食料を保存する場所が設けられていました。
床の一部は一段高くなっており、寝たり、日常の作業をしたりする場所として使われていたようです。
壁や床には白い漆喰が塗られ、壁画で飾られた家もありました。
9000年前の人々も、住まいを整えることには気を配っていたようです。

9000年前のインテリアにも、なかなかのこだわりがあったようです。
撮影:Murat Özsoy 1958/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0(改変なし)
食事の準備をしたり、石や骨で道具を作ったり。
壁が汚れれば、漆喰を塗り直すこともありました。
現代のような便利な家電はありませんが、家事や住まいの手入れに忙しかったのは、今と変わらなかったのかもしれません。
もっとも、掃除機も洗濯機もない時代です。
家事の時短は、なかなか難しそうですね。
そして、この家にはもうひとつ、現代の住宅とは大きく異なる特徴がありました。
なんと、亡くなった人々が、家の床下に埋葬されていたのです。
亡くなった人は、家の床下で眠っていた
チャタル・ヒュユクの家には、もうひとつ不思議な特徴がありました。
亡くなった人々を、家の床下に埋葬していたのです。
発掘調査では、多くの住居の床下から人骨が発見されています。
とくに、寝床などに使われていた一段高い床の下に埋葬されることが多かったようです。
遺体は手足を折り曲げた姿勢で埋葬され、ときには同じ場所に何人もの人が眠っていました。
つまり、人々は亡くなった人のすぐ上で、食事をしたり、眠ったりしていたわけです。
現代の感覚では、少し驚いてしまいますね。
けれど、当時の人々にとっては、ごく自然なことだったのかもしれません。
なぜ、家の床下に埋葬したのでしょうか。
亡くなった人とのつながりを大切にしていたのか。それとも、家そのものに特別な意味があったのでしょうか。
詳しい理由は、まだ分かっていません。
ただ、ひとつ興味深いことがあります。
チャタル・ヒュユクの家は、単に雨風をしのぐためだけの場所ではなかったようです。
生きている人が暮らし、亡くなった人もそこに眠る。
家とは何か。
9000年前の人々は、私たちとは少し違う答えを持っていたのかもしれません。
不便そうな街に、人々が暮らし続けた理由
道路がなく、玄関は屋根の上。
家に出入りするには梯子が必要で、亡くなった人々は床下に眠っている。
現代の私たちから見ると、なんとも不思議な街です。
正直なところ、住みやすそうには見えません。
不動産屋さんに紹介されても、少し考えてしまいそうです。
けれど、チャタル・ヒュユクでは、人々が何世代にもわたって暮らし続けていました。
そこには、当時の人々なりの合理性があったのかもしれません。

でも、彼らが住んでいた場所は今もここにあります。
撮影:Omar hoftun/Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0(改変なし)
家を密集させることで土地を有効に使い、屋根を通路として共有する。
住居を何度も建て替えながら、同じ場所で暮らしを受け継いでいく。
なぜこのような街が生まれたのか、その理由は今もはっきりとは分かっていません。
ただ、ひとつ言えそうなことがあります。
私たちにとっての「当たり前」が、いつの時代にも当たり前だったわけではない、ということです。
9000年前の人々も、きっと自分たちの暮らしをよりよくしようと、さまざまな工夫を重ねていたのでしょう。
そして、9000年後の未来。
もし私たちの街が発掘されたら、未来の人々は何を不思議に思うのでしょうか。
道路に車を並べ、毎朝渋滞している姿を見て、
「なぜ、わざわざこんな暮らしを?」
なんて首をかしげるかもしれません。
便利さの形は、時代によって変わっていく。
けれど、少しでも暮らしやすくしたいという人々の思いは、案外変わらないのかもしれません。
9000年前の屋根の上にも、そんな日常が広がっていたのでしょうか。

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